2014年12月13日土曜日

生まれて初めての入院



入院

生まれて初めて入院した。しかも日本じゃなくてフィリピンで。
4日で退院になるけど、ずっと点滴されたままだからシャワーは浴びられないし、入院するつもりもなくて来たから、普通の服のままで顔もろくに洗えず、歯も磨けず。
全身がべたべたで気持ち悪い~~~。

でも、フィリピンの入院事情が少しわかったかも。
それから、こちらの人々の生活習慣も。

先ず朝が早い。
一般的なフィリピン人は、毎朝5時頃起床する。
そして、6時から7時までには朝食をとる。

それがそのまま、入院患者にもあてはめられる。
患者には特に起床時間等は決められていないのだが、とにかく5時には複数の看護師たちが賑やかにやってくる。
そして、あれこれ聞いていく。こちらが寝ていてもお構いなしだ。

シーツの替えもこの時間に行われる。これにはびっくりした。
寝ているところを起こされて、シーツを替えるから、そばのソファに移れという。
寝ぼけ眼をこすりつつ、ふらふらしながらソファに移り作業終了を待つ。
初めての時は、私が寝過ごしていたのかもと思い、とにかく従ったが、時計を見て5時だったのにびっくり。
いくらなんでも早い~~~。私は病人なんだぞ~。。。
でも、毎朝つづいたので、これがこちらの習慣だとあきらめた。


食事は毎朝6時半頃運んでこられる。昼は11時ごろ、夕飯は5時頃だ。
最初は食べられなかったが、2日目の昼からは、腹が痛くなっても食べろという。
仕方なく、バナナだけ、とかスープの中の野菜だけとかを食べ始めた。

食事の内容は、日本の病院食からはちょっと考えられない。
もっとも、私は入院したことがないから、両親が入院した時の食事を思い浮かべているのだが、こちらのはとにかく脂っこい。
野菜と肉を煮たものがおかずで、それにご飯と果物というのが昼、夕食のパターン。
このスープには、肉から出たものだろうが、油がかなりこってり浮いている。
油を避けながら、中の野菜だけを食す。
朝食は、大抵一品と果物だけ。
おじやに似たものが2日目に出されたが、この時は食べられず。
その後は普通に炊いたご飯とかなりスパイシー味の春雨スープ。


病状は2日目の夕方にはかなり回復。
3日目、4日目は、ただベッドでゴロゴロ。
2日目に部屋からパソコンと単行本を数冊持ってきてもらったので、それでひたすら暇つぶし。
病室は個室で設備も整っており、テレビもあったので、中東アルジャジーラのニュース番組と、絶対海賊版の中国字幕のトランスフォーマーを視聴。すべて音無し。
テレビがベッドに対して横向きなので、長く見ていると疲れるのが難点。


最後に、病気について。
私がかかった病気は、amoebasis というもの。
日本語でいえば、アメーバ赤痢。
赤痢に似た症状が出るので(私も内心赤痢かと思った)この名前があるようだが、実際にはアメーバ(寄生虫のようなもの)による大腸炎。
4日で退院したが、駆除のため数日は薬を飲まなければいけない。
退院後1週間したら、完治確認で再度病院に行くことになっている。
その2日後に帰国予定だ。この病気は隔離されるわけではないので、帰国事態に影響はない。
でも、体内に虫がまだいるのかもしれないと思うと、いい気持ちはしない。

 どうして感染したかだが、はっきりしない。
病院も感染源を特定しようともしない。

考えつくのは、スーパーでキムチの瓶詰を買って食べたこと。生の野菜は、大学の学食で時々出される数切れのきゅうりとトマトとこれだけだ。
買ってきた瓶の口からキムチの汁が漏れていたから、密封されていなかったのは明らかだが、唐がらしをたくさん使っているから大丈夫だろうと思って食べた。
ただ、キムチを食べてすぐ頃から腹部に違和感が出て、1週間くらいで発症したから、潜伏期間が短すぎる気もする。

結局、感染源は不明のままだ。とにかく生ものは厳重注意というしかない。
因みに、今学食からもらった生のトマトときゅうりがある。
焼いて食べようかと思っている。

2014年10月20日月曜日

フィリピン生活始まった



フィリピンで生活しはじめてから、約1か月。
覚悟はしていたつもりだけど、やっぱりかなり違ったというのが実感。

先ず、『衣』
これは、そんな大したギャップはなかった。ここ2年夏に行っている西表と大体同じだろうと思っていたから、ほぼ問題なし。
問題があったのは、履物。 暑いから、サンダルでいいと思って、サンダルしか持って来なかったら、雨が多いのにびっくり。
一過性のスコールしか考えていなかったのが甘かった。台風のせいもあり、1日中どころか数日間続く雨もあり、道路事情が良くないのは当たり前なので、道は浅い川のよう。
次は長靴を持ってこようと考えています。
因みに現地の人は、ゴム草履に履き替えてバシャバシャ歩いています。
足がぐちゃぐちゃ濡れているのは、私はいやなので真似する気は今のところなし。

次に、『食』
これはいい面と悪い面があり、最初はいい面の方が印象に残っていたが、次第に悪い面が積み重なってきた。
いい面とは、熱帯性の果物が美味しいこと。
バナナの味が明らかに違う!! パパイヤがスイカの半切り状態で出される!! 
 名前を覚えていないが、形はライチみたいで、味はもっと濃厚な果物も。
では、悪い面とは。
いくつかあるが、決定的なのは野菜がすごく少ないこと。
日本人のこの長い胴体には、野菜は不可欠なのを痛感。
ポーランドにいた時は、水が硬質のせいもあって、お通じに悩むことはなかったけど、この1か月で何回行ったことか。。。2桁行ってないのが実情で、日本から青汁とマルチビタミンなどのサプリを調達することを思案中。
こうなると、朝昼晩全食提供という条件が恨めしい。だって自炊設備がないということだから。
そして、味。フィリピンのガイドブックにも『フィリピン料理は甘い』と書いてあったが、ケチャップやソースの甘さが尋常じゃない。
こちらでお世話になっている先生曰く、『フィリピンのケチャップはバナナからつくられている』…ホンマかいな??? 
学食で食べた現地のハンバーガ-。2度と口にするまいと固く誓ったのでありました。
素材はやっぱり沖縄に近いんだろうか、豚肉がすごく多い。
でも、問題なのは、子どもの頃食べたことのあるランチョンミートとか、フランクフルトサイズの真っ赤なソーセージなどの加工物が多いこと。しかもこれがしょっぱい。フィリピン人はこれでご飯を食べるから、濃い塩味はご飯が進むのかな? 豚肉も脂身が好物のようで、私の感覚では油ギタギタにしか思えない…(現地の皆さん、すみません m(_ _)m )
そして、そして、理性では理解していたことなんだけど、ほぼ三食一汁一菜。
夕飯に小さいカップラーメン、ソーセージ2本、ご飯だった時はさすがにこの先やって行けるのか、ため息が出ました。
でも、日本でも作るのが面倒になって粗食だったりしたので、この食事内容には少しずつ慣れてきた。加えて、毎晩ビールを飲むので、とりあえずつまみとして一品あればいいか、という気になってきたので、健康面だけ注意すれば、何とかなるだろう。

長くなったので、ここでいったん止め
『住』については次回へ

フィリピンに住み始めて・・・(続)



最後に『住』

これは率直に言って、文化の違いではなくて、文化程度の差だと思う。
最初に面食らったのが、トイレとシャワーに仕切りがないこと。
毎日、シャワーを浴びる度にトイレが水浸し。それが気持ち悪くてモップを購入。
前出の先生曰く、こちらの人たちはトイレとシャワーがある部屋を知らないので、細かい指示なしで家を作らせるとそうなるんだそうだ。

下水設備もまだまだなのだと思う。部屋に充満するアンモニア臭。
あまりにひどい時があってマスクをして寝たことも。
それでも、私が滞在している部屋は水洗トイレだし、蛇口から水道水が出てくるので恵まれているんだそうだ。
多くのフィリピン人家庭ではいまだに上水道は通っていず、井戸の水を汲み置きして使っているとのこと。
さすがにその環境では、私が住むことは無理だと思う。先ず腹壊して撤退になるだろうし。

虫が多いのは想定済みなのでキャアキャア言いながら退治している。
一度手のひらほどの大きさのある蜘蛛が出現して、この時ばかりは肝を冷やした。
大騒ぎしながら、でも殺せず何とか部屋から追い出したものの、それ以降、いつも部屋に入る時はびくびくしている。
ちなみにこの蜘蛛、毒はないそう。でも、気持ちいいもんじゃないね、ロンの気持ちがよくわかったよ。

今深刻な問題は、ネット環境。
全然快適につながらない。日中は数回ネット検索しただけで、もうつながらなくなるし、動画サイトは早朝深夜にしか見られない。
理由は、電話回線を使ったプロバイダーの『ネット使いたい放題』で契約しているから。日中は電話回線が込むので、私のような「ヘビーユーザー」の使用は制限するとの通知が。ということで現在は毎朝5時に起きてネットにつなげるという生活に。
ま、早寝早起きになって健康的でいいかも、と考えている。

ポーランドにいた時も日本の方が快適だと思うことが時々あったけど、アジアではそんな比較ができる段階にはないのだと実感。
ただ、私がいる学校の理事長のように、成功者の富豪ぶりはすごいものだ。
日本ではそういう人に知り合えないので、日本の富豪を私が知らないだけかもしれないが。

海外で生活して、身についたもの。
ものをポジティブに見ること、自分ではどうしようもないことは仕方ないとあきらめること。
もっと若い時から海外を知っていたら…とも思うけど、この年になってから出たからできるのかもしれない。結局、『今』が一番大事だと思う。

2014年9月21日日曜日

ポーランドからフィリピンへ

2009年9月から2014年6月までポーランドにいましたが、当初の予定よりかなり過ぎてから、ついにアジア進出です。2014年9月からフィリピンのルソン島北部のTuguegaraoという所で日本語を教えることになりました。
このブログ、どうも写真を載せるとエラーになったり、うまくいかなくなってしまったので、止めちゃおうかと思いましたが、写真なしの私の率直な呟きのみにしようと思い、また書くことにしました。
写真は、順次facebookにアップするつもりなので、興味がある方はfacebookで関口智子で探してみてください。顔写真はワンコの顔が一面に出ています。何せ「せきぐちともこ」さんはたくさんいるので見つける時はワンコの顔を探してください。

さて、お友達にはすでに到着時の状況をメールしましたから、その後からのことを。。。
率直な呟きと言いながら、単なる愚痴になる恐れは十分にあるわけで、というか、ほとんど愚痴になりそう・・・

台風のせいで宿舎は停電しそうだというので、週末の食事のこともあり、急遽、大学理事長宅敷地内にあるゲストハウスに泊まらせていただきました。

ゲストハウスは、虫がいるのを差し引いたら、かなり高いグレード。ま、虫のことを考えたら、この国にはいられないでしょうね。
話がそれるけど、日本から持ってきた蚊よけの『押すだけベーブ』類は効果あります!!
部屋に侵入してきたコオロギがバタバタ死んでいきます。私が死ぬのはいつ頃でしょうか???

で、週末は優雅に三食付でキングサイズのベッドにごろごろして、食事の時は怪しげな英語で理事長一家とおしゃべりし。

理事長は大の親日家で、嬉しかったのは第二次世界大戦の前後のことでも日本を支持してくれました。曰く、ヨーロッパはみんなそれまでにアジアを植民地化してひどいことをしてきた。日本が西洋諸国に追いつこうとして同じことをしたのはある意味歴史の中で仕方がないことだ、と。
以前にパラオに行った時も親日ということを知りましたが、一般の日本人はもっとこういうことを知りに海外にいかなアカンとまた思ったわけであります。

話がゲストハウスに戻りますが、大学の宿舎とはえらい違い。
よくアジアの成功者は日本とレベルが違うというのを聞いたけど、理事長もその類なんだろうなと思いました。私のうちは三世帯で住んでいて、そんなに小さい家じゃないはずなんだけど、家族四人位で住んでいるうちが私の家の三倍以上の大きさ。私が泊まったゲストハウスの一室も宿舎の2倍の広さ。これが特上で私があてがわれた所がスタンダードなんだと思うと、つくづく貧富の差を痛感。日本っていい所だ。。。

でも、日本人として、トイレだけは辟易しちゃうね。
トイレとシャワーが一緒なのは仕方ないけど、段差もシャワーカーテンもないから、毎回シャワーの後はトイレの周りが水浸し。やっぱこれ、気持ちのいいもんじゃないから、さぁてどうしようか、と対策を思案中。


良かったこともあった。
『ハロハロ』というかき氷を食べたら、めちゃウマ。皆さん、フィリピンに来たら絶対お試しあれ!!
物価が安いので、携帯も安く手に入ったし、ネット使いたい放題で3000円弱なら全然OKだし。
みんなニコニコ優しいし、空港のタクシーぼったくり以外はまぁ、今のところ順調 (^^)v
日本円で250円位で買ったドライヤーがどのくらいもつのかも楽しみ。

明日(月曜日)は、大学幹部の皆様にご挨拶のミーティング。
自己紹介も少し考えとかないといけないだろうな~(冷汗)