2009年12月25日金曜日

極寒











ついちょっ前はほんとに寒かったです。
日本でもニュースになったようで、何人かが心配してメールをくれましたが、雑草のように強い私は、いたって元気です。
と言いたいところですが、そのくそ寒い時にクラクフというこちらの有名な観光地に団体で旅行に行きました。こちらの観光は、主に史跡と博物館めぐりになるのですが、今回は、見事に史跡ONLYの観光でした。(特に二日目)  (- 3 -)
その寒いことったら、まぁ  あたりまえですよね、最高気温がマイナス10度くらいなんだから!!
おかげでさすがの私も帰ってきたら、のどが痛くなっていました。
でも、気が張っているというのは大したものですね。何とかひどくならずに乗り越えつつあります。
ご心配なく!!

一度11月の頭に凍った池が、12月の最初くらいまで暖かかったので、すっかりとけていましたが、1日の気温が10度くらいずつ下がって、わずか二日で完全凍結しました。
この国でホームレスを見かけたことがありません。それは、この国が贅沢をしなければ、住宅や食べ物がめちゃくちゃ安いので、そのせいだ、と思っていました。
でも、もう一つ、要因があるのがわかりました。
この国の冬は、家がなかったら、生きていることができません。

生物観察をしてみました。
池凍結1日目  まだ水のところがあります。かもはそのどちらにもいますが、鳩は陸にいます。
凍結二日目(完全凍結) 鳩も池の上を歩いていました。小さい犬も、つるつる滑りながら、池のふちを散歩していました。 人の足跡も氷の上にありました。勇気ある人か、経験豊かなんでしょうね。
ちなみに、公園には2羽鳩が死んでいました。死因はおそらく凍死です。

こんなに寒くても、若い女の子は、ぴったりしたジーンズ(デニム)でブーツにショートコートで街を闊歩しています。下にタイツを履いているのでしょうか。おばさんは興味津々です。
東京の、真冬でも生足にハイソックスの高校生を思い浮かべましたが、彼女たちがここでどんな格好になるのか、連れてきて観察してみたい気もします。

でも、クリスマス前にちょっと寒さが緩みました。
マイナスの気温でも、ひと桁だとそんなに寒くないんです。
つくづく人間の順応力の高さに感心しています。

クリスマス・イブ







雪は降る、あなたは来ない♪



日本でもニュースになった極寒が少し緩み、昨日は雨で道路と池の氷も少し解けました。

イブはさびしい人たちはお呼ばれがあるよ、ということだったのですが、私のホストファミリーは用事があるようで、クリスマス明けにおいで、と声がかかりました。
そんなわけで、クリスマスは一人で過ごすこととなりました。
ちょっとさびしい気もしますが、ずーっと授業やら、観光旅行やらで休みがなかったので、(観光旅行は休みなんですけどね、形としては)逆にちょっとホッとしています。

近くの教会の前に何やら工作ができつつあったので、見に行ってきました。
キリストさまの家と、誕生したといわれる「馬」小屋を再現したものでした。
「馬」って聞いていたけど、中にはどう見ても「駱駝」がいました。
あっちでお生まれになったから、これもありかな? と思ったりもしました。

こちらに来て、もう4ヵ月近くになりました。あっという間ですね。
これからの予定もいろいろあるので、年が明けてからもあっという間かもしれないですね。
今週は暇があるので、ため込んだネタでもうちょっとブログを付け足そうと思っています。
記憶しているだけだと忘れたり、ごちゃごちゃになるので、いい記憶整理になります。

では、皆様、良いクリスマスを。

2009年11月27日金曜日

裁判所に出廷!!




大学の寮に入ってすぐの頃に私が捕まって罰金を払わされた話、覚えてますか?

大学が不当逮捕と罰金だというので、抗議の文書を出してくれたので、その申し開きのためにお白洲に行ってきました。
今度は大学から、私の通訳ということで、きれいなポーランドの秘書さんが同行です。
ちょっと冷たい感じがする人ですが(たぶん瞳の色のせいだと思う。とてもいい人です。きれいだし。)、とにかく心強い(なんせ、彼女のお父さんは弁護士で、旦那さんは警察官ということですから)味方を得て、興味津々、行ってまいりました。

中に入るために空港にあるようなセキュリティチェックを受け、コートをクロークに預け、案件に私の名前が書いてあるドアの前で待ちました。

時間になり、ドアの中へ。

そこには裁判官と書記が一人いて、名前の確認を受けた後、英語が喋れるか聞かれました。
a little と答え、後は秘書様がポーランド語で何か説明。
秘書さんはこの後ポーランド語でうそを言わないことの宣誓をしたうえで審議がスタート。
言葉がわからなくても、雰囲気と裁判の知識から、何をしているのかわかるもんですね。
提出してあるのではなく、もう一度状況を説明するように言われ、緊張しながら英語で説明。
途中途中通訳をはさみながら、書記の人が書き取って行く。

この時は渡り始めた時は青だったこと、ポーランド語が分からなかったことを伝えましたが、後から考えると状況の説明だけでなく、捕まえた警官の非を強く主張する弁論だった方が良かったようです。

数分間の審議ののち、再度呼ばれて結論が言い渡されました。

結論は、私の抗議は認められませんでした。
赤信号を渡ることはこの国では交通規則違反であることから、罰金を取ったことは違法ではない、ということでした。

この法廷は、私が犯罪者であるかそうでないかを判断する場ではなく、私がとられた罰金を返してほしいという申し出に対して、承認するかしないかを判断するものだ、と言われました。

まぁ、ある程度予想していた結果でしたが、いろんな事の勉強になり、周りの人の優しさもありがたかったし、いい経験でした。
一緒に行ってくれた秘書さんはとても残念がっていて、あの裁判官は駄目な奴だと言ってくれましたが
弁論の仕方も考えなければいけないことも知ることができたし、何よりも、この大学の人たちが、私のために手間をかけてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

最後には、まぁ、100zlt くらいで済んでよかったね、ということで、今回の件は奇麗さっぱり片付きました。
ほんとにいい勉強になった案件でした。

授業料としては決して高くない?

最後に別話。
秘書さんは黒髪なんですが、とてもきれいな人です。
その彼女が裁判所までの道で、車線変更で入れてくれない男性のことをブロンドにしか親切じゃない、と言って怒っていました。

この国にはいろんな色の髪の人がいるんですが、どうやらブロンドが美人の条件みたいですね。
金髪娘話ってエロい話には必ず出てきますもん。

ウッジ日本週間












11月16日から24日にかけて、私が住んでいるウッジ市で、日本文化紹介のイベントがありました。

これは毎年行っているもので、今年はポーランドと日本の国交樹立?90周年に当たるということで、日本から人を招いたりして、いつもの年よりも盛り沢山だったそうです。
私も少しだけお手伝いをしました。
月曜から金曜は行事が夕方からなので、昼間は大学で授業をして、それから出かけて毎日着物を着て会場をうろうろしていました。

土曜がメインで、朝からお茶や折り紙、水墨画などの行事があり、私たち日本人スタッフはそれを手伝いました。
去年ここでお茶を覚えた人たちがお手前をして、会場に来た人たちにお茶をふるまいました。
出国直前にバタバタと覚えた私よりもよっぽど上手です。
日本に戻ったらきちんとやらにゃあかんわい、と思いました。
水墨画もみんな素直に躊躇なく描くので、遠目だとそれなりに様になっています。
何でも素直が一番ですね。
月曜から日曜まで行事が続いて、一日空けて火曜日に日本から三味線と横笛とベースとドラム、という組み合わせの和風バンド(cazi-cazi)が来てくれて演奏してくれました。
一日間が空いたせいか、この日はお客さんの入りがちょっと悪いな、と思っていたら、同じ日にウッジ市の別のところで五嶋みどりさんのコンサートがあったんだそうです。クラシック音楽好きの方たちは残念ながらそちらに行ってしまったようでした。でも内心、日が重ならなかったら、私も言って聞きたかったと思いました。
でも、コンサート自体はとても楽しめました。

印象的だったのは、アンコールの時に日本でも有名なポーランドの曲(森へ行きましょう、娘さん・・というやつ)をアレンジして演奏したら、会場の全員がとても嬉しそうに体を揺らしていたことです。
それを見ていたら、この国の人は本当に自分たちの国を愛しているんだなぁ、とつくづく思いました。

日本で老若男女が聞き入る曲って何ですかね?
演歌じゃ若い人が付いてこなさそうだし、やっぱり「故郷」とか、そういう曲ですかね。
皆さん、どう思います?

2009年11月11日水曜日

たまには授業も







たまには授業も、といっても実はこれ、私の授業ではありません。
日本文化の授業で水墨画をやるので、私が勝手に参加させてもらっているものです。
筆を持つのはポーランド人は初めてだから難しいだろう、と思うのは、思いあがりと知りました。
変な先入観念がないから、実に堂々、大胆に描くんです。恐れ入りました。生半可な知識は(見たことがある程度)、かえって邪魔ですね。
来週は私の住んでいる市で≪日本文化週間≫が催されます。何をするのか、よくわかっていないのだけれど、毎日夜な夜な着物を着て愛嬌をふりまくらしいです。
土、日は来た人の名前を漢字で書いてあげたりするそうです。同僚のNさんはポーランドの人たちの名前を漢字にするのにはまってしまって、今から張り切っています。
私は、というと筆で書く、と聞いただけで、ん十年前に結婚式の受付で小筆を渡されて、手が震えて書けなくなったのを思い出して…トラウマだぁ

何人かいるから、みんなに頑張ってもらおうっと。結果はまたそのうちにブログで紹介します。

11月1日は死者の日







少し遅くなりましたが、11月1日はカトリックの行事で『死者の日』と言います。
この日はみんなでお墓に行くそうです。だから地方出身者は、みんな家へ帰ってしまいます。当然この日は祭日になります。大きな祭日のようで、この日は大きなスーパーもみんな休みです。かろうじてレストランは何件か開いていました。
私たち、日本人ボランティアは夕方集合して、まず夕食を食べてから、その、きれいな墓地を見学に行ってきました。この頃はメッチャ寒くって、たかをくくって出かけた私は非常に寒い思いをしました。たぶんマイナス5℃位?
たくさんのお花やろうそくできらめく墓地を見て、日本のお盆みたいにもっと暖かいころにやったら…と思うのは身勝手なんでしょうね。
こちらでお世話になっている先生から、この日は日本のお盆のようなもの、と説明されましたが、みんなで集まって墓地に行くのだったら、お彼岸に似ているのかなぁとも思いました。いずれにしても、この行事はプロテスタントには無いようです。貴重な1日でした。

ちょっとした、へぇー










 

ほんとにちょっとしたことなんですが、あれっと思うことがいくつかあったので。
① 授業で学生に家族構成の言い方を教えていた時のこと。  
ほぼ八割以上の学生が、『私の家族は、母と、父と……』父より母が先に出るんです!!  
そぉかぁ、ポーランドの女性は強いからなぁ…と最初は感心していたのですが、よーく考えるとそうではないみたい。  
つまり、レディファーストなんですね。常に女性を大切に扱うように、とポーランドでは子供のころから教えられるようです。  
日本も国際化するなら、こういうとこを少しは取り入れてほしいですねぇ。
② ポーランドの女性は、結婚すればみんな料理、洗濯、掃除を当然のこととしてします。  
彼女たちが家事をしている間、亭主が子供の面倒を見ます。公園を散歩したり、本を読んであげたり。
ここは元社会主義国だから、男女の別なく仕事をします。そして、男女の別なく、同じような時間で仕事が終わります。    
だから、育児、家事が家庭の中の分担作業として成り立つのかな、というのが観察結果です。    
それから、ここはあまり汗をかかないからか、毎日シャワーを浴びる習慣がないようです。  
だから、「うちの亭主は子供を風呂に入れてくれない」というぼやきもないみたいですね。
③ 12月に日本語能力試験の3級を受ける人たちが過去問をしているのを見て。  
長文読解に「朝六時に起きなくてはならないから、五時五十分に目覚ましをかける。四つ目覚まし時計をかける」  というのがその文章の大体の内容ですが、単語の意味は理解できても、この文化が理解できないから、問題の意味が分からないようでした。  
つまり、六時に起きるのに、なぜその10分前に目覚ましをかけるのか、しかもどうして4つも必要なのか、がわからない。  
目覚ましがどこにおいてあるのか、みたいな設問もあったみたいで、4つをばらばらに、ベッドから起きて歩いて止めに行くところに置く、なんて考えもつかないようでした。  
考えられなくて当たり前かも、と思いました。  
だって、この国の人たちは夜寝るのが早いから、朝がつらくて起きられない、というのは、若い人たちが夜遅くまで遊ばない限りあり得ない話のようだから。  
④ 西洋人は碇肩だから、あまり肩こりしない、と聞いていたけど、そうでもないみたい。  
電球が切れて(よく切れます)、電気屋さんに買いに行ったら、椅子にセットするマッサージ機がありました。  
子供が使った後でまだスイッチが入ったままになっていたので、使ってみましたが、意外や、すごい快適!!  思わず購入を検討しそうになったりして。(プールは今閉鎖中だし、行くまで寒いし…)

2009年11月2日月曜日

秋? 冬?








ここ数日は、久しぶりの晴天です。

今外に出なくて、いつ出る!? というわけで、お外をふらふらしてきました。
ほんとは大きな公園に行こうとしていたんだけど、人がたくさん、ある方向に向かっていくので、ついていったら、青空市場をやっていました。
常設の市場らしく(うちの近くでしたけど、前に歩いた時は気付かんかった)、建物もあって、中はにく、ニク、肉!
沖縄の市場を彷彿させるように、内臓から、豚足から、いろんなものが売られていました。買うわけじゃないけど、こういうとこって、楽しいですね  (にゃは)

野菜や洋服や靴、いろんなものが売られています。しかも安い!! 食べ物以外は、かえって心配になったりしますが…でも、フード付きのジャケットを日本円で3,000円ちょっとでゲットしました。
公園にも行ってみました。落ち葉がバケツをひっくり返したように、わさわさ降ってくるし、地面にも積もっています。

写真の建物、気付きましたでしょうか?
そうです。織物工場なんです。ここウッジは、もともと繊維産業で栄えた町なんです。
その後映画産業が盛んになり、ポーランドの≪ハリウッジ≫と呼ばれていたそうな。ダジャレの好きな人って、万国共通なんですね。  それにしても、あぁ、寒い

今は、人はたくさんいるけれど、観光地というわけでもないし、特別な企業、産業もないみたいなので、これからどうするのかっていうのもこの町の行政の課題みたいですよ。
ウッジは第二次世界大戦の時に爆撃されなかったので、戦後一時首都機能を担っていたそうです。
ワルシャワはめちゃくちゃに破壊されたので、戦前の姿に再建させたそうな。
ウッジは壊されなかったけど、そのままで現在にいたっているので、石畳も結構崩れて凸凹して歩きにくい。道路も、これが舗装路? というくらい凸凹のところもある。
観光地じゃないので、治安は他よりいいみたいだけど、下に気をつけて歩かないと、お犬様の落し物をいつ踏むとも限らず…

まぁ、いい面、悪い面、どこだってありますね。
久しぶりのいいお天気に加えて、先週末は週末学部がなかったので、少しゆったりしていました。さぁ、今週もがんばるぞ!!

2009年10月29日木曜日

初めての国内巡業










先週末に初めてポーランド国内を、日本文化紹介ということで旅行してきました。
バルト海に面した、北にあるグダニスクというところへ行ってきました。北にあるけど、海に面しているからか、内陸のこちら(ウッジ)よりも暖かかったです。
我ら日本人ボランティア一同は、まるで田舎芝居の旅巡業のように長距離列車に乗り込み、私は初めてだったので、ワクワクしながら旅立ったのでした。
新幹線があったら、恐らく2、3時間で着くのかもしれない距離を、7時間以上かかってやっと現地に到着しました。この国では、飛行機を使わない限り、どこに行くにも1日がかりになってしまうようです。
それと、私たちは団体だったから、時には居眠りしながらゆったりとしていましたが、基本的に電車などの公共機関の中で無防備な状態になるのは、とても危険だそうです。何か盗られても、寝ていた人が悪い、という感じですかね。特に私たちのような、明らかによそ者は、絶好のターゲットになるみたいです。うーん、ポーランド国内の一人旅…私にできるだろうか? 絶対に寝ない、なんて無理だぁ。
話は変わりますが、行きの列車の中で、着いた先で使う折り紙をみんなで折っていたところ、車掌さんが改札に来ました。その時はすぐにいなくなったのだけれど、珍しかったんでしょうね。何か視線を感じて顔をあげたら、コンパートメントの外に車掌さんが二人いて、じーっとこっちを見ているんです!!びっくりしたのと、気味が悪かったので、無視していたら、とうとうこらえきれずに、コンパートメントのドアを開けて、何か話しかけてきました。山に積んだ折り紙がたいそう珍しかったようで、渡したら、しげしげと見ていました。あまり楽しそうにしていたので、仲間の一人が一つあげようとしたのですが、それは遠慮して受け取りませんでした。日本を出る前に、ボランティアの仲間から、折り紙はコミュニケーションづくりにいいわよ~、と言っていたのを実感した次第です。
さて、地方巡業のグダニスクでは、新米の私は着物を着て、ただ愛嬌よくしていればよかったはずが、日曜の帰りの便が二つに分かれて、ベテランさんが先に帰ってしまったので、急きょ私が着物を着つけるのを見せることになりました!?
人前で着つけるなんて何十年ぶりのことなのに、度胸だけはいいので、気安く引き受けてしまいました。挙句に全く練習もしないで、ぶっつけ本番で行ってしまいました。案の定、おたおたしながらになってしまいましたが、モデルさんが心得ていてくれて、自分でどんどん着つけられていってくれたので、なんとか助かりました。自分が恥かくだけじゃないので、ちょっと、かなり反省… 次からはちゃんと練習しよう!!
今回は時間がなくて観光はできない、と諦めていたのですが、世話人の先生が気を遣って手配してくださったようで、土曜日の夕方から、食事も含んで数時間、市内観光をガイド付きですることができました。さすが観光地だけあって、道路の石畳があまり凸凹していなくて、歩きやすい! しかも犬の糞を気にして下を向いて歩かなくても大丈夫! 住んでいるところとの違いに「やっぱ、観光地だわ~」と感激していました。
日曜の午前中は、近くのパイプオルガンで有名な教会のミサに出てみました。ちょっとのぞいてみるつもりが、抜け出しにくい状況になってしまい、結局最初から最後まで出ました。これも一つの経験でしょう (^_^;)
その後どうしても海が見たい、ということで、海を見に行ってきました。冬の海はさびしくて、灰色でした。でも波は穏やかでしたね。とにかく海が見れて感激して、ついでにおいしいケーキを食べたので、思いっきり満足しました。(おかげで、着付けの練習をしなかったのだけれど…)
帰りは、グダニスクを夜の7時過ぎに出て、ウッジには夜中の2時につきました。ここで降りる人がかなりいて、そのせいか、タクシーもいっぱいいました。周りの人の様子を見ていると、みんな何か電話をしている。聞くと、タクシー会社に電話して自分で呼んでるということでした。
私たちはそこにずっといたタクシーがいたので、声をかけたら、やっぱり呼ばれてきたタクシーだったようで、代わりに別のタクシーを呼んでくれました。あとから来たタクシーの運ちゃんもいい人で、私が門の中に入るまで外にいたくれた(?ような気がした お金数えてだけ?)。
そうそう、旅行中の日曜日の深夜に夏時間から冬時間に変わりました。だから、今は日本とは8時間差になります。

しばらくはこうやって人に連れて行ってもらって国内旅行をすることになるでしょう。
年明けたら、ひとりでもスキーに行くことができますように。

2009年10月22日木曜日

違いを感じる その2 食事からの考察




こちらでは、とにかく食べものが安い!!
しかも、ハム・ソーセージ、チーズはとても美味しい。
パンもすごく安い。フランスパンのバゲットが、日本円にして15円くらいで買える。
パンも毎日焼きたてなので、美味しい。でも、次の日にはすぐにボソボソか、硬くなる。
ちなみに、9月の私の食費は、最初の2週間がホームステイだったので、ここは全くかかっていませんが、日本円で1,200円位でした。しかもこれって毎日のビールの値段も含んでいて、ですよ。
皆さん、日本の年金でも、ここでなら、なんとか暮らせそうですよ。

ここでは日に4回食事をします。
最初が、日本と同じように、朝起きて、朝食をとります。基本的にパンとハムとチーズのことが多いです。休日の時など、時間がある時はパンケーキ(といっても日本で言うクレープくらいの厚さです)にホワイトチーズやジャム、ハムなどを一緒に食べます。
次に11時から13時くらいの間に第2朝食と呼ばれるものを食べます。これはサンドイッチや街で外食する時は、ケバブ(ピザトーストのようなの)やピザを食べます。日本でいう、昼食に当たると思います。
ここからがすごいんですね。
午後3時過ぎから5時ごろにディナーと呼ばれる(ポーランド語ではオビァドと言います)昼食を食べます。ディナーといわれるだけあって、まずスープを飲みます。そしてメインディシュ、サラダ、付け合わせはパンやご飯(コメ)やマカロニ類になります。ここのスープはいろんなタイプのものがあります。
食事は比較的味が濃いので、日本人の口に合うのではないかと思います。というか、私の口にはとてもよく合いました。ただ、脂が多いのと、肉の量が多いのは、ちょっと問題でしたけど。
ホームステイの2週間に私が食べた肉の量は、去年1年間に私が食べた肉の量くらいに匹敵しています。
でも、こちらでは魚をあまり食べないので、ああ、味噌汁にアジの干物が食べたい、と思うことはありますね。
基本的には現地の食べ物を現地の飲み物でいただく、というのが私のポリシーですから、ウォッカやビールが飲みモノだと、必然的に肉や脂っこくなるのだろうなぁというのが私の感想です。
話がだいぶそれましたが、これが、『昼食』です。食事の後、時にはデザートでケーキやアイスを食べます。こちらではケーキはほとんど自家製です。果物もたくさんあるので、フルーツやチーズをたくさん使ったケーキが多いです。ケーキは、はっきり言って、美味しい!です。やたら甘ったるいというのではなく、日本で食べてもおいしいと思います。アイスは、こちらが乾燥しているから、乳脂肪たっぷりのアイスが、すっごく美味しいです。家庭だと、これにとろっとした、プランデーっぽい香りぷんぷんのリキュールをかけて、季節によってはペリー類も載せていただきます。どこかのテレビ番組で「まいうー」と騒いでしまいそうなくらい、うまいです。
こんな早い時間にディナーを食べるからでしょうか。夜8時か9時ころに、夕食(夜食?)をとります。
これは、朝食とほぼ同じで、パンにハム、チーズ、そしてコーヒーか紅茶になります。
ホームステイ中もさすがにこの夕食は食べられずに、『I'm full』を毎日のように言っていました。それでもやさしいポーランドの人たちはディナーの後、2,3時間すると「おなか空かない?」といつも心配して聞いてくれました。こんだけくったら、さすがの私も胃がもたれてしまうので、丁重にお断りしていましたが、高校生の女の子はバクバク食べていました。
今は細いけど(足が長くて、スタイルがすごくいいんです、若いうちはみんな)、いつからこの反動が出るのか、観察してみたい気もします。
ちなみに、同僚の日本人女性は、ホームステイしていた時は食事が重すぎて消化できずに、食べても直通だったそうです。(食事がまだな人、ごめんなさい)
この食習慣は、この国の働き方に合っているのでしょう。
どっちが先かわかりませんが、大体朝7時か8時ころから、男性も女性も働き始めます。そして、特に昼休みというのはありません。適当に休憩しながら、小腹がすいたら、あの第2朝食を食べるようです。
そして、大体午後3時ころに仕事が終わります。男性も、女性も、学校もです。
だから、それでみんな家に帰ってみんなで食事をするんです。ゆっくり食事ができるから、このときがメインになるのでしょう。
夕方公園に行くと、男性が乳母車を押して散歩している光景を自然に見ます。男性も育児に当然のように参加しているんですね。そのせいかどうか、ホームステイの家でも、高校生の娘と父親の仲がすごく良かった。日本だとちょっと考えにくいですね。でも、不思議なことに、料理、洗濯、掃除は当然な母親の仕事になっています。これをぶつぶついう女性はいないようです。庭の片付けは、基本的に男性がやっていますから、分業ということになっているのでしょうか。
それから、お風呂(バスタブ)はほとんどの家庭にありません。シャワーだけなので、日本のように、子供を風呂に入れてくれないと愚痴ることもありません。基本的に、こちらの人はシャワーもあまり浴びないようですから(乾燥していて汗をかかない)、子供もきっと毎日はシャワーしないのかも…これはあくまでも想像です。

話が全然まとまらなくなってしまったので、これでおしまい。








2009年10月14日水曜日

初雪












今日は10月14日です。
先週末より、かなり冷え込んできていましたが、今朝は、なんと、雪です!!

寮の暖房もなんとか昨日からはいりました。
間一髪、セーフでした。入っていなかったら、『ポーランドで邦人の凍死者が…』のニュースが出たかもしれない…そのくらい、部屋にいても寒かった、うぅ。
こちらの人は寒さに強いので、まだ真冬の格好をしていません。
環境に対する人間の順応性の高さを実感しました。
でも、私が順応するには、生きてるうちには無理かもしれない。
なんせ、過去数十年かけて、南国仕様に順応させてきたのだから。

一気に冬の気配を見せたポーランドには、今年は《黄金の秋》はなかったのでしょうか。
10月末に晴れた日がなかったら、長い冬に知らないうちに突入していたと思っていいのでしょう。
これから、暗くて寒い冬が来年の4月頃まで続きます。ブログが途絶えたり、かなり暗い、愚痴のような内容になってきたら、危ないです。
今は、昨日暖房が入り、心まであたたくなったような気でいますから、余裕、余裕でいます。

授業も少しずつ、わからないながらも組み立てられるようになりつつあります。来週からは、高校にもデビューします。
何かしでかしたら、またブログ公開します。
当面は、骨折注意、かな?

2009年10月10日土曜日

授業開始!!

わかっていたことなのだけど、相変わらず準備の悪いねえさんは、先週は怒涛のような授業の準備に追われ、しばし睡眠不足に。
といっても、しっかり6時間以上は寝ているから、日本にいた時に比べたら、まだよく寝てるうちか。

初めての授業は、こちらでお世話になっている先生が突然やってくれることになり、ほっとしたのも束の間、時間になっても、先生が来なーい!! 
真っ青になっても、どうしようもない。腹をくくって、どもりながら、英語で自己紹介をした。
人を頼って安心していたから、今日の授業予定は全部寮に置いてきちゃったし……どおしよぉ…
自己紹介なんか、頭真っ白状態だから2、3分しか持たず、気まずい雰囲気が…汗たらー;

遅れること30分、やっと先生登場、平然とした顔して、他の日本語ボランティアを引き連れて入ってきた。それからポーランド語と日本語で授業開始。
文字の成り立ちからはじまって、教室で使う言葉、あいさつ、出欠、と当たり前だけど、滑らかーに進み、私にとって初めての授業は終了。

なんで、先生来ないのー?と恨めしく思っていたが、突然代わってくれちゃったり、時間に来なかったりしても動じないのが、ポーランド流。
この程度でアセアセしていたら、1年は持ちませんね、はい、実感。

次の日は、90分授業が4つ、その次の日も2つと相成りました。
学生は少しは日本語が分かるので、初歩の初歩段階はつまらないみたい。
でも、君たち、私もポーランド語の最初はそうだったんだよ。でも、あっという間に教えられる量の方が、覚えられる量を上回ってしまうのだ。
前期が終わった時に、できれば全員残っていてもらいたいものです。

今回は写真を撮っている余裕もありませんでした。
次回には、かわいい、ボン、きゅっ、ボンの学生さんを紹介できたらいいですね。
日本だと、個人情報の問題が発生しそうだけど、こっちはどうなのかなぁ。
また捕まったら、やだなぁ。 (あり得ないってね)

2009年10月1日木曜日

派遣大学の始業式に参加


おととい、突然事務の人がやって来て、始業式で紹介するから、着物を着て出席してくれ、とのこと。
了解はしたけど、不安になって着物を取り出し、一応着てみた。うん、何とかなるね。一安心。
同僚のNさんは着物がまだ送られてきていないので、私の浴衣を着ることとなった。うまく着付けられるのか、これまた不安になって、自分で帯だけ結んでみた。うん、何とかなるね、これも一安心。
式は11時からスタートした。こちらでは、大学は卒業式はないそうだ。入学式もないみたいなのに、始業式だけはあるんだね。
私たちだけが民族衣装を着た異人のような感じだったが、とにかく珍しいし、日本語学科にネイティブがいるというのを売りにもしたいようだ。
でも、実力は未知のボランティアの人間を式に招待してくれて、学長の話の中でわざわざ紹介もしてもらい、破格の待遇を受けたのだ。感謝と同時に、責任も感じた。
さて、出席者が席に着くと、学長以下、トップ?の人たちが、ローブ?マント?を着て登場。
えー、ハリーポッターとほぼ一緒だ! 顔が全然違うけど、学長は、さしづめダンブルドーレみたいだ、等と内心感心していた。
式が進み、学長の訓辞?の後(とにかく何言っているのかわからないので、雰囲気で察するところ、である)、角帽をかぶった、卒業生と思しき数名が呼ばれ、CERTIFICATEのようなものをもらった。卒業生にしては数が少ないなぁと思い、後で聞いたら、各学部の成績優秀者だけ表彰されたらしい。これは名誉あるものなんだ、とまた感心。
その後、ポーランド語で講義のようなものがあり(どうもヨーロッパでのポーランドの成り立ちを言っていたらしい)、お開きになり、この集合写真と相成ったわけだ。
学生無しの慰労会みたいなのがその後にあった。
飾り付けを見て、関心、感激!!
この写真、わかりますか?
飾り付けが野菜なの! これがまぁきれいなのよ。 そして、ビッグなソーセージ!!
でかいカップみたいなのから、垂れ下げてあり、その迫力に、もうびっくり! 思わず笑いがこみ上げる。しかも、そのソーセージを手でちぎって食べるのだから、さらにびっくり!!
普通は体験できない、貴重な経験をさせてくださった皆様に感謝!です。

2009年9月30日水曜日

違いを感じる その1 車


ワルシャワに着いてすぐにタクシーがベンツやBMWやアウディであることに感激。バスだって、ベンツやボルボなんですよ。やっぱ、ヨーロッパだなぁ、うんうん。
空港からホテルまでタクシーで移動。周りの景色に興味しんしんながらも、景色の飛び方にちょっと違和感が…そおっとメーターを見たら、げー、120キロ出てるやないか!? この道って信号もあるのにー。
翌日、滞在先のウッジ市に到着し、ホストファミリーの車で、家まで帰った。市街ではなく、郊外に住まいがあるので、かなり走る。未舗装に近い凸凹舗装路や石畳の道を80~100キロくらいのスピードで走っていく。昨日のタクシーが暴走族だったわけではないようだ。
後でわかったことだが、ここでは市街地は50~60キロ以内、市街地を出たら(標識が立っている)、80~100キロまでOKなのだ。この道で、このスピードまでOKなら、この私でもスピード違反で捕まることは、まずないだろう。(ちがうことで捕まっちゃったけど…トホホ)
日本人なら、このひどい道では車が壊れないように走ろうとするだろうし、まず第一に道を直すことを考えると思う。
でも、この地の人にはそういう考えは毛頭ないようだ。どういう道だろうが、どの速度で、どんなふうに走っても壊れない車が、良い車、普通の車で、壊れちゃうようなのはダメな車、良くない車ということのようだ。
日本人は壊さないように車に乗るけれども、作るとなったら、故障しない、壊れないように作るから、人気があるのだろう。事実、日本車は中古でもこの地では大人気で、ベンツやアウディなどよりも、ものによっては高くて買えないようだ。ちなみに、私のホストのパパさんは、スバルのフォレスタに乗るのが夢だと言っていて、日本での中古の値段を言ったら、お金払うから、代わりに買ってくれって言うほどでした。
ものすごく個人的な見解だけど、思った事を。
ドイツ車は、ぶつかるのは当たり前、という考えで車を作っていて、ぶつかっても壊れない、怪我しない車づくりが基本コンセプトのように思える。かたや、日本車は、先ずぶつからないように考えて、それでもぶつかっちゃった時は、怪我しないように、というように考えている気がする。まあ、どっちにしても、スピード出してぶつかれば、壊れるし、怪我すると思うけどね。
こちらの平均的な人は、15-6万キロ走っている車を平気で使っているし、社会主義時代のポーランド国産フィアットがいまだに現役で走っている状況だから、日本車はあこがれの的なんだね。
こちらに来て初めて乗った≪国産車≫は日産で、まだ新しそうだったせいもあり、乗り心地が非常に良かった!! やっぱり、日本はすごい!! まだまだ捨てたもんじゃないよ。 
若者よ、海外に出てみると、君たちのお父さんやおじいさんたちがどれだけ頑張ってきたか実感すると思うよ。なんか説教臭くなってきたので、この辺にしときまひょ。

2009年9月27日日曜日

ホームステイ













ポーランドのウッジ市に行ってホストに会うまで、自分の行き先や面倒を見てくれる人が誰だか、全くわかりませんでした。これがいかにもポーランドらしいんです。すべてがアバウト。
同僚のSさんと一緒にワルシャワからバスでウッジに到着したけど、それらしきお迎えの人がいない。
待つこと20分。バスが到着しなきゃいけないバス停じゃなく、バスステーションの入り口で止まって降ろされてしまったために、ホストの人はバス停でずっと待っていたそうです。やっと大荷物を抱えた明らかな東洋人を見つけてもらいました。

私のホストは3人家族で、英語が話せる高校生の女の子と、片言英語のmamaと英語が全くわからないtata(お父さんのこと)です。それからわんこが2匹、猫が1匹います。このわんこたちのおかげで、会話が続かないとき、かまったりして時間が過ぎていきます。
また別の機会にも書きますけど、ポーランドでは1日に4回食事をします。えー! また食うの? が率直な感想。 だから、ロシアや東欧の人たちはこの体型なんだ、と納得がいきました。
家が郊外にあるので、周りは草原。毎日キノコ採りに行けます。
共稼ぎなので、朝7時ちょっとすぎに一家揃って車で市内まで出勤、登校します。私もポーランド語研修を受けるために一緒に行きます。研修が始まるまで、mamaの勤務先のホテルの事務室でひたすら勉強しましたが、ここまで覚えられないとは、ホンに情けなや。

2週間ホームステイして、いよいよ一人(と言っても、同僚の日本人の女性と一緒です)の生活がスタートします。いろんな事がありますよ、ほんとに。では、今回はこの辺で。

2009年9月26日土曜日

話の顛末

昨日の話の続きを…
昨日の体験談をポーランドにいる日本人の同僚にメールで知らせたところ、世話人の先生が、一家そろって心配してきてくれました。事情を詳しく説明し、違反切符らしきものを見ていただいたところ、本物でした。でも、歩行者の信号無視を、注意ではなくていきなり罰金を取るのは、あまりないことだと言って、派遣先の大学から抗議の文書を出してくれることになりました。私一人の不注意が、いろんな人に手間をかけさせちゃって、恐縮の限り。 皆さん、ごめんなさい m(_ _)m学長夫人が押しの強い人で、電話口でかなり強く言ってくれた(らしい)のだけれど、私がすでに現金を払ってしまっていること、領収書のつもりで切符にサインしてしまっていたことが原因で、押しが強くてもダメだったみたいです。いやー、いきなりこんなことがあるんで、ブログの題目を『住んでビックリ!! ポーランド』に変えようかなー。これ、同僚のNさんからのパクリです。
今回の件の教訓は、自分が絶対納得しなかったら、お金を払ったりしては駄目だし、サインなんか、以ての外。先生からも、今回はこの程度だったからよかったけど、書いてある内容によっては、サインしたのがさらに致命傷になることもあるから、と説明されました。先生、まわりの皆様、本当にありがとう。ジンクイェ、バルゾ! (ポーランド語で、ありがとうの意味)たぶんお金は戻って来ないと思うけど、早い時期に貴重な体験ができました。これからは、おまわりに捕まっても、絶対に負けないぞー!!!  (ちょっとちがうか?)
皆様も、海外旅行をした時に、捕まっても言ってることがわからなかったら、『日本語を話せるポリースを連れて来い』と言ってやりましょう。今回、私は、時間がとられることと、更に面倒なことになるのを恐れて、言われるがままに良く分からずに対応してしまいましたが、自分の権利を守るということは、特に海外では重要だと実感しました。だから、みんなも捕まったら、『日本語を話せるポリースを連れて来い』と言ってやりましょう!!  (でも、何語で?)

2009年9月25日金曜日

今日は厄日?

いろいろ書こうと思っているけど、とにかく今日の体験を先に書きます。
今日、私は市内のプールを見て来ようと思い、地図を両手に(片手どころじゃありませんでしたので)、先ずトラムを乗り換え、ここだろうと思っていた所で降りたけど、案の定よくわからず、すぐに地図を広げて、それを見ながら横断歩道を渡っていました。そしたら、渡り切らない、かなり前の位置で、赤信号に変わってしまいました。渡り終わってから、立ち止まって地図を見ていたら、警官らしき人が近づいてきて、何か言い始めました。道を教えてくれるのかと思っていたら、「レッドシグナル」とか何とか言っているようなのがわかりました。何を言っているのか、よくわからないこともあり、しらを切っていたら、英語の書いてあるのを指し示し、「あなたは交通違反をしました。だから罰金を払わなければいけない」と言っているのです。んな、ばかな!! あたしゃ、歩いているんだよ!! と思い、必死につたない英語で訴えましたが、効果なし。向こうは英語がわからず、こっちはポーランド語が分からない。粘る手だても考えつかず、言われるままに罰金100ズォティを払ってしまいました。確かに、ウッジ市と書かれたはんこの押された違反切符?を貰ったけど、いまいち納得いかない。国が違えば、色々違うのだろうけど、罰金て、その場で現金で払うものかねぇ?地図を広げて、旅行者バレバレ状態だったので、やられちゃったのかなぁ?????高い授業料を払ったと思うしかないね。この件について、お心当たりのある方は、ぜひ連絡をください。

2009年9月23日水曜日

出発直前にバタバタして、すっかりご無沙汰してしまいました。
現地に到着してから、早くも3週間も過ぎてしまいました。
いろんな事がありすぎて、毎日毎日があっという間に過ぎて行き、結果、まったく何も記録していませんでした。
テーマに分けて、徐々に思い出しながら、書いていきたいと思います。

ちなみに、今日は、赴任先の担当スケジュールが決まりました。
最初の話と違い、金、土、日がフルスケジュールです。これは、ちょっと、はっきり言って誤算。
こちらの仲間と一緒に、日本文化紹介であちこち行けるのを楽しみにしていたのに、ざーんねん!!
でも、きれいな宿舎も提供してもらったし、やるときゃやんないとね、やっぱり。

だらだら書いていると長くなるので、今日はこれでおしまい。
おやすみなさーい。

2009年7月31日金曜日

ビザの申請

昨日ビザの申請にポーランド大使館に行ってきました。
すごく暑い中、説明も受けて、地図も印刷したのに、行き過ぎてしまって細い路地を戻り、結局倍の時間がかかりました。こんなんで大丈夫かいな、あっち行ってから…
でも書類もばっちり不備なしで (当たり前か?)、着払いの宅急便で返送を頼み、帰途につきました。
帰り道の簡単で、近いこと、近いこと。でも、暑くって、溶けちゃいそうでした。(ドロドロー)

さあー! ポーランドにいっくぞー!

2009年7月28日火曜日

海外旅行保険加入

比較検討した結果、JIの旅行保険にしました。理由は、価格と補償内容が一番適当だったから。
AIUほど補償内容がしっかりしてなくてもいいと思うし、とりあえずポーランドにもタダでかかれる病院があるようなので。
先方からのInvitation letter も届いたので、あとはビザを取りに大使館に行けば出発までの必要事項が片付きます。出発一週間前くらいに送信されるeチケットを印刷すればすべて完了です。
あとは何を持っていくか、です。これが簡単そうで、実はかなり悩むような気がします。

2009年7月16日木曜日

ブログはじめ

今日からブログを始めます。
八月までは、出発までの進捗状況を、出発してからは現地での状況を覚書として書いていきます。