2010年12月12日日曜日

課外授業


今年から、着物の着付けの課外授業を始めました。

男の子の着物は持っていないのだけれど、どうしても着てみたい、という子がいたので、苦肉の策で、私の袴をはかせました。
案の定つんつるてんでしたが、本人はとても喜んでいました。

よかった、よかった。

このクラスは、着せてあげるのではなく、自分で着られるようにすることが目的です。
今回が初めてで、みんな興味津々、でも一度着て写真を撮って満足した子も多いので、次からは減って、やりやすくなるでしょう。

最後におやつのてまり寿司を食べて終了です。

皆さん、お疲れ様でした。

ポーランドのお友達

すっかり雪景色です。
ポーランド体型のパグが三匹、いつも公園を散歩しています。
今まであったポーランドの犬は、ほとんどとても人懐こいです。

この子たちもよしよし、と手を出すと、すり寄ってきて、私の足の上に座ってしまいます。

ほんとは、手なずけようとしている子がいるのだけれど、その子はまだまだですね。
餌もやらずになでるだけだから、しょうがないね。


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もう12月です

今年になってから、ブログの調子が悪く、写真がアップできません。
だから余計疎遠になっていますが、でも、今年は去年よりも忙しいんです。
担当コマ数が増えているのと、追加のワルシャワ行きが、はっきり言ってかなり負担になっているからです。でも、引き受けたものだし、あと一回なので、とにかくやるっきゃない、という感じです。

このごろは寒波が来て、ドカーンと寒くなるかと思えば、プラス気温くらいに上がったりで、1週間のうちに気温差が20℃くらいあります。
でも、そんなものか、と。人間慣れるもんですね。今年来た人は、やっぱりちょっと大変みたいです。

大学の授業もあと1週間で大体終わりです。もう少しあるんだけれど、クリスマス前は、一旦家に帰った学生が戻ってこないことが多いので、人数は激減です。
去年は、それでも授業することを考えていましたが、今年は『何して遊ぼうかな~』。

今年は作文を担当しているのですが、この科目は、学生がどんな文型を習っているのか、をあんまり考えずにテーマだけを与えて、書いてもらっています。
そうすると、かなりおもしろいことがいろいろ出てきます。

その① 辞書をよく調べて、とにかく漢字、熟語を使いたいタイプ
ベッドは『寝台』、本棚は『書架』、布団は『褥』(しとね) いつの時代の辞書だ~?

その② とにかく [て形]でつなげるタイプ
朝起きて、ご飯を食べました。 OKです。
朝起きて、大学へ行って、病気で、ご飯を食べて、何もしなくて、映画を見まして、(ここでもうやめて…私の気持ち) 友達にパーティして、明日朝起きて、………ました。(400字詰め原稿用紙で「。」は最後のひとつだけでした)

その③ 文法的にはいいんだけど、日本語的になんかヘン?
日本文化週間についての作文…
★「アニメの話の後、日本人と遊びました。」 うーん、日本の人たち、と言ってほしいなぁ
★「土曜日、私は、日本の女と遊びました」 で、どうだった?よかった? とつっこみたくなりました

この、その③については、他にもおかしいことが色々出てきて、同僚のNさんとしょっちゅう盛り上がっています。がくせいさん、ごめんなさい。 m(_ _)m

収拾つかなくなってきたから、これでおしまい。

2010年11月26日金曜日

ポーランド初一人旅

ポーランドに来てから1年以上経ちましたが、実はポーランド国内を一人で旅したことがなかったんです。

いろいろ理由はあるんですが、1番は、移動に時間がかかること。電車に長時間乗らなければならず、その間トイレもままならず、等々あって、二の足を踏んでいましたが、やはり一度は行っとかないと、という場所だけに行ってきました。

それは、世界遺産にもなっている、アウシュビッツと、ヴェリチカ岩塩鉱です。

岩塩鉱は、まぁ、有名なところですから、皆さんもとりあえずポーランドに来たら行ってみてください。
おもしろいですよ。

でも、やっぱりアウシュビッツはいろいろ考えさせられる場所で、行ってよかった、と思います。
(偉そうに言ってますが、実は広島には行っていない、これはぜひ行って来よう、と思っています)
英語のガイドがついて、3時間位のツァーなのですが、ただ遺品を見るだけではわからない解説をしてもらったので、余計に考えさせられたのだと思います。

つくづく、戦争というのは、人が人でなくなるものだな、と思いました。

だからこそ、語りつなげる必要と、いろいろな人に伝える必要があるということを感じました。
ここがヨーロッパだからかもしれませんが、英語のツアーがとても多いです。

日本にも伝えるべきものがたくさんあって(ほんとにいい国だと思います)でも、ガイドで食っていける人は果たして何人いるのか、考えてしまいます。

英語のツアーが普通にたくさんあれば、もっとたくさんの人が日本に来るのではないか、と思いました。


アウシュビッツには、人間の髪の毛で作られた布や、その材料になった髪の毛の一部が残されています。その場所だけは撮影禁止になっていますから、自分で見るしかないのですが、なんとも言いようがないです。人々が収容されていた部屋に入ったとたん、既に何もない部屋なのに、はっきり言って臭いのです。ガイドの説明によると、人々は、トイレは朝晩の2回だけ、しかも5秒間だけトイレに行って座ることができたのだそうです。
それ以外でもよおしたら…しかも体調はみんな最悪なので、我慢できるはずもなく…
そのにおいが今もなお残っているのだそうです。

自分たちが今いかに恵まれているのか、親や先人に感謝するしかないですね。

ウッジ日本文化週間

かなり久々のブログです。



11月16日から21日まで、去年もありましたが、私が住んでいる市で、日本文化の紹介イベントがありました。

去年お世話になった人たちも見えて、とても楽しいひと時でした。

私がいっている大学の学生も、去年よりもたくさん来てくれました。

今年は、日本人の先生が三人もいるので、学生も興味がわいたのかもしれません。

今年、私は作文の教科を担当しているので、感想を書かせたところ、来年もぜひ行きたい、と書いてくれた学生もいて、『まあ、かわいい、プラス5点❤』みたいなかんじです。

2010年10月21日木曜日

出稼ぎ

いろいろ書きたい、と思っているのですが、微妙に忙しかったり、ボーっとしていて一日が終わってしまったりで、とんと御無沙汰です。

日本の皆様は、お達者でしょうか。

いろいろな事情が重なり、今週から週に一度、ワルシャワまで出張に行っています。(これ書いたのは、十月半ば)

表題には、出稼ぎ、と書いたけど、ボランティアで報酬をもらっていないので、稼いではいないですね。

まぁ、今週から大学の授業をやりくりして、ワルシャワの高校で日本語の授業をするために、週に一度行くことになったんです。

私が住んでいるウッジ市からだいたい150km弱くらい離れているんですが、電車が一時間に一本くらいで、うちから高校までだと、正味で三時間くらいかかります。

年末いっぱいなんですが、かよい通せるか、一抹の不安の中でのスタートです。

でも、最近は天気も良く、いい気分で始まりました。 少し、ほっ…

で、首都ワルシャワに行ったおのぼりさんの感想。

こちらの方たちは、あまり体型を気にしない人が多いんですが、さすがワルシャワはファッショナブルな方が多いです。

元々頭が小さくて、脛がすっとして長いから、かっこいいんですね。写真撮れないのが残念です。



ワルシャワに残っている、去年からのボランティア仲間に連絡をとり、高校でお茶のお手前をやってもらうことになりました。年末には、サンタの折り紙をして…正直に言うと、高校の授業は、がっつり授業にすると嫌がられるので、ネタ探しに四苦八苦しています。

誰か、いいアイディアちょーだい。

2010年9月21日火曜日

2年目突入











ほぼ2カ月の、長かったはずの日本滞在もあっという間に終わり、いよいよポーランドの2年目が始まりました。今回はどんなことが起きるのか、楽しみです。( ^ o ^ )

日本にいる間は、友達と海や山に行ったり、たくさん飲みや食べにみんなと行けて、とても楽しい時を過ごすことができました。
ご協力ありがとうございました。

ポーランドから学生が日本にやってきて、その案内をしたり、日系ペルー人の子供の入試対策勉強をみたり、と今まで経験したことのないことも経験でき、ほんとにとても楽しかったです。

日本を出発した時はまだ暑かったですが、最初に経由地のパリに着いた時はすでに15℃を切る気温になっていました。あまりのギャップに、つい機内の毛布を持ってきてしまいました。(^ _ ^ ;)
今回、私は2年目なので、去年よりも2週間遅くに現地入りしました。
今年派遣の人たちは、九月の最初からポーランド語の研修を受けて、その後現地でお世話をしてくださる先生の別荘でボランティア同士の親睦および現地の人たちとの交流を体験しました。
そこにたどり着く前に一悶着あったとのことで、皆様お疲れ様でした。
いろいろお話を聞いていたら、去年の自分の失敗を思い出してしまいました。

去年、皆さんにお願いして、私が担当している学生から、クリスマスカードを送り、その返信に年賀状をもらう、という活動をしました。

その時に、学生の書いた字が正しくなくて読めなかったので、It is not good. Your writing is wrong.
これ、間違っているよ、くらいのノリで言ったつもりだったのですが、wrongということばは、とても強い言葉で、学生をとても傷つけてしまいました。
まわりの学生が、私の英語力が不十分なのを察して、冗談扱いしてくれたので、何とか乗り切れましたが、他にも I want you to ~ と言ってしまい、学生から、ものすごく強制的に聞こえて、ビビってしまう、と言われ、そんなにも I'd like you to ~ と違うのか、と教えられました。

日本人は自己主張が足らない、といわれることもあるけど、自分の意見、要望を言う時にどんな言い方で言うのがいいのかを考えるのは、英語でも何語でも変わらないものなんだなぁと思いました。
やっぱり相手に快く了解してもらったり、心から納得してもらえるような言い方を考えることが大切なんだなぁ、と思います。

今年は人数も多く、連絡不行き届きのこともあったみたいですが、少なくとも日本人同士なら、お互いに配慮した言動、まっ、大人の付き合いをしたいもんですね~。


ところで、こちらはもう秋真っ只中、わたし的には冬だと思っていますが、おかげでいろいろなキノコが出ていて、とても楽しいのです。

市場にも、ヤマドリ茸や、軸のすごくぶっといキノコ、アンズ茸などがた~くさん売られています。

どこにいても、楽しいことは見つかるもんですね。

2010年7月30日金曜日

一時帰国中

7月15日の夜六時過ぎに無事、成田に到着しました。
なんだかんだで大荷物になってしまい、やっとでてきた荷物を持って迎えの友達に連絡をとりました。

日本の携帯をサンアントンでなくしてしまったので、何年かぶりでテレカを使って公衆電話を使ったら、最初うまくつながりません。
ガーン!!電話のかけ方も忘れちゃったのかしら? かなり不安だったけど、何とかつながり、やっとご対面~。

ポーランドでも見送ってくれた友達がいて、その子とは、あちら式でしっかりハグハグ、チュッチュッしてバイバイしてきたけど、さすがに日本だね~、よー久しぶり、と手を振って久しぶりの対面は終了。
いやー、日本らしい、再開の場面でしたね。

帰ってくる時は、ポーランドもすごく暑かったので、成田に着いた時にもあまり違和感はなかったので、一安心したのも束の間、何でこんなに暑いの~?
暑さに強いはずの私も、戻ってからは毎日エアコンのお世話になっています。

帰って直後に大学の友達と飲み会、これは少しすったもんだがあったけど、久しぶりに食って飲んで、ウレシ~♪

海の日には、わが愛犬と近所のお友達と山へ行き、その帰りに『小菅の湯』で温泉に入りました。

帰ってすぐにカイロとヘアカットに行ってきたから、日本に帰ってきてしたいこと大体クリア。
後は次までの準備と、失った(?)体力を回復するだけだわ。
しっかし、暑いせいだか、体力低下のせいだか、とにかくすぐ息が切れて、ハァハァ、へぇへぇ… うちのワンコと変わらない状態。

向こうの物価と比べると、もう、ものすごくお金を使っちゃっているけど、やっぱり日本はいいね。快適。
後は海に行って貝採りすれば、夏の年中行事も終了するし・・・

二か月・も・ある、と思って帰ってきたけれど、あと六週間、と考えるとみじかいもんですね。
キリギリスになって遊びまくって、ポーランドの優しいアリさんたちに冬は助けてもらおうと、なんて虫がいいんでしょうねぇ。

来期はスポーツ好きのおじさんが一人加わる予定なので、今から楽しみです。

帰国前のハプニング

すでに日本にいますが、こちらに戻る二日前に実はあわや帰れない?ということが起きました。

その日は、帰る前の部屋の片付けをしていたところ、こちらで知り合った人から突然連絡があり、お互い会えなくなってしまうから、今日会おう、ということになり、外出していました。

戻ってきて、片付け再開、と思ったら、同僚のNさんから、手紙を預かっていて、私がサインしておいた、というのです。
サインをしなければ受け取れない手紙が何で私宛に? 不安を感じつつあけてみましたが、ポーランド語でぴっちり書かれていて、まったくわかりません。
でもそこには日付と、連絡先が書かれていました。
無視して破棄するわけにもいかないだろうと思い、またまたこちらでお世話になっている先生にスキャンして内容を問い合わせしました。

発信元は、私が住んでいるところの税務署からでした。
去年末に日本語能力試験のお手伝いに行った際に、謝礼として少し現金をいただきました。それが、所得とみなされ、納税せよ、そもそもあなたは就労許可を得ているのか?という問い合わせで、この手紙を受け取ってから五日以内に出頭せよ、という内容だったそうです。

お礼は他の人ももらっているのに、何で私だけ~? 

どうも一度裁判所に抗議申し立てをしたので、身元がばれていたようで、それで私だけ問い合わせがあったようでした。

えっ、今度は税務署にも行くのか… でも、飛行機の切符は明日(解読して連絡をもらった日から見て)なのに、私って、帰れるの~ ( - _ - ;) 不安がよぎりました。

結局、先生の奥様が私の身元保証人になってくれて、これは謝礼であること、定期的な収入はないことを保証する文書を出してくれることで出頭しなくてもよくなり、めでたく帰国することができました。

ほんとに最後の最後まで、お世話になりっぱなしでございました。
ほんとに、ありがとうございます!!!

2010年7月3日土曜日

最後のお仕事



早いもので、もう七月です。

明日から、最後の試験です。それでもって終わりです。
今日は、学生に誘ってもらって、ビールを飲みに行ってきました。

なかなかいい感じのお店でしたが、今日は自分で払うつもりで、おかわりまでしちゃったのに、結局学生に全部ごちそうになってしまいました。

ゲー、私が一番飲み食いしたのに…申し訳ないのと、しくじった気持ちでいっぱいでした。


仕方ないので、次の期に、みんなに色々日本のものを紹介するので帳消しにしてもらおう、と調子よく考えています。

今日は、ポーランド語の方言について、学生に色々教えてもらいました。

明日その方言を使ってみるつもり。ウフフ、楽しみです。

ここウッジで、明るくて、気が利いている、いわゆるできる女性に、精神的にも、物質的にも色々お世話になりました。


彼女は一足先に帰国しましたが、年をとってだんだん世界が狭くなる中、やっぱり踏み出してみる大切さを感じました。



と、感傷的になっていますが、明日からのテストが無事済まないといけません。


みんな、気張ってや~


ところで、写真のワンコは、私がポーランドで一生懸命手なずけようとしている子です。

最近やっと暇な時に頭を触らせるようになりました。

公園のカモと、この子が、私の暇つぶしです。

2010年6月21日月曜日

わたし、日本人です。

 ほんとに早いですね~。もう六月の終わりです。
大学の授業も終わり、最後の試験です。わたしは、受けるのではなく、出す方なので、気楽です。
問題を作るのも、近くに先生がいますから、いろいろ教えてもらいながらできました。とても勉強になり、ありがたい限りです。
 さて、平日クラスの一年生は、ザリチェニアと呼ばれる、最後の面接試験を受ける前の、課目の実力試験のようなものを受けました。
採点をして、はぁぁ、案の定、かなりの人数が追試となりました。
追試の前に、もう一度確認のための補講を、先生がやってくださいました。わたしは、その横で補佐係です。学生に、答案を返し、間違えた場所を各自に確認させました。
 
 ここからが、今日の話題です。
一人の学生(私のクラス)が、私に聞いてきました。『先生、ここはどうして間違いですか。』
 それは、「います、あります」の存在文の課の問題で、「とけいは、どこにありますか。」というのが、設問で、「(とけいは、)つくえのうえにあります」というのが、求めていた解答でしたが、彼は、「つくうのうえに、とけいがあります。」と書きました。
日本語をならう学生が最初に出会う、「は」と「が」の使い分けの問題です。
当然、彼の答えは間違いです。
でも、他の言葉は合っていますから、4点配点のところを-0.5点しました。
彼は、この減点がおかしいと言ってきたのです。『は』で聞かれたら、『は』で答える、というルールは授業でも確認済みで、他の生徒は正解しています。
もう一度彼に説明したら、「でも、文法の先生は、これで合っている、と言っていました。」と言い出しました。
文法の先生は、ポーランドの人です。たぶん学生の勘違いなのですが、彼は主張して譲りません。
挙句に、『文法の先生が正しいと言ったのだから、あなたが間違っている』とまで言われてしまいました。
あのー、私、日本人で、ネイティブスピーカーなんですけど…
日本語を、もう50年も話してるんですけどねぇ、間違えてますかねぇ?
あまりにおかしくて、吹き出してしまいました。
日本人だったら、アメリカ人の先生に、あなたの英語は間違っている、なんて、絶対、口が裂けても言いませんよねぇ。
文化と言っていいのか、人の考え方、主張の仕方の違いを肌で感じて、とても面白かったです。

 で、議論の結論は?というと、私が負けるわけないじゃないですか。
学生に、授業で渡したプリントをもう一度よく見て考えるように、しっかり言い含めてやりました。
でも、これが、去年の授業開始直後くらいに言われたのだったら、弱気になって、「一度調べてきます。」と言って、私が引いてしまったかもしれませんねぇ。

強くなったもんです。これが外国で暮らした、一番の成果かもしれません。

2010年6月8日火曜日

ライン川下り





こちらでは宗教関係の休みがたくさんあります。
ほとんど店も閉まってしまう状態なので、またしても、ドイツに旅行してきました。

今回の目的は、激安航空会社を使って、私が住んでいる町から飛び立ち、ドイツの父なる川を見て来ようというものです。往復航空券が、なんと!! 3000円なんです!!

はっきり言って、観光旅行の苦手な私は、もうそろそろ見るだけの旅行はgive upです・・・
ライン川は、泳げるような川ではないのですが、岸沿いの古城を眺めながら、ゆったりと川下りをして、物思いにふけってきました。
そうそう、青梅市の姉妹都市のボッバルトも通ったんですよ。ドイツ語だけど、読めますよね。
天気はドピーカンで、手の甲と顔だけ真っ黒に日焼けしてしまいました。
気付いた時には、時すでに遅し。恐るべき日差しです。

泳げないような川なのに、岸辺には、うら若き女性が惜しげもなくビキニでころころころがっています。
完全に親父目線で堪能してきました。(残念ながら、写真はありませ~ん)

すでに休暇に入っている家族連れも多く、家族全員で自転車でツーリングしていました。
電車の自転車OKの意味は、これだったんですね。
うーん、こういう旅行も次にしたいけど、一人じゃ、無理だねぇ、はぁぁぁ。
わんこが乳母車に乗って自転車旅行をしているのに出会いました。
あまりにかわいくて、写真を撮らせてもらいました。
うーん、プーはどうしたら、こんなにおりこうさんになれるかしら?
最初を誤った気がするよ、うーん。
残すは、学生への試験のみです。みんな、がんばれよ~、追試は九月だぞー。

ポーランドの子供の日




6月1日は、こちらの「子供の日」です。
でも、こちらでは、休みになるのではなく、高校で行事があって、そこに小、中学生が訪ねてくるのです。
私が行っている高校は、日本語が勉強できる、というのが売りの一つにもなっているので、行事に顔を出しました。
何をしたかというと、折り紙、書道、日本の伝統的遊びの紹介etc,etcです。
私は、ひたすら、やってきた子供たちの名前を筆で書いてあげていました。

最初の頃は手が震えてうまく書けませんでした。
今も上手くありませんが、下手を気にしなくなりました。
おかげで手が震えなくなりました。これなら、結婚式でも書けるよ~ん。
でも、もう呼ばれることもないか… ^ ^;

もうすぐ1年目の任務終了です。
高校にも行かなくなります。
あとちょっと、がんばりましょー

2010年5月15日土曜日

ポーランドの子供たち
















今週は、ワルシャワとウッジの間の町の図書館の主宰の日本文化イベントに行ってきました。




高校生くらいの子供たちもいましたが、大半が小学校低学年か、幼稚園くらいの子供たちでした。

その子供たち相手に折り紙を折ったり、書道をしたり、とても楽しくて、心がホンワカするイベントでした。

しかも言葉を憶えるのが早い!!

頭の軟かさを痛感しましたね。

私も遠い昔はそんなことかあったような・・・記憶にもないけど。


見慣れない人種(日本人)を見て、泣き出してしまう子、折り紙の説明をしていたお姉さん(残念ながら、私ではありません)を帰るときまで、じーっと見つめていた子(惚れちゃったみたいでした)、子供ってこんなに可愛いものだったんだ、と初めて気付きました。


授業だけでなく、たまにこういうのもあると楽しくて、いいですね。




きのこの写真は、先日の植物園のものです。

ひとつは春シメジ、もう一つはニガ栗茸です。

わかりましたでしょうか。

うちの庭の春シメジも、もうでる頃ですね。

山の皆さん、次回うちに集まった時に、裏の梅の木の下を見てみてください。

出ているかも。そして、山の春シメジも出る頃ですね。

責任は持ちませんけど、おいしいから、食べてみてください。

2010年5月14日金曜日

ポーランドの桜祭り







先週末は、こちらの植物園で桜祭りがありました。



野点をする、というので、すこーしお手伝いに行ってきました。
桜は、日本にもある、八重の桜が満開でした。

そして!!! なんと、植物園のいろいろな木の下に『春シメジ』を発見!!!
ちょうど頃のものもあり、うーん、食べてみたい…

さらにうろうろしていたら、『こごみ』もあった!!!
うーん、採って食べた~い。
でも、ここは植物園なので、採取禁止です…はぁぁー (* 0 *)  もったいない

市場では、ホウレンソウが出回り始めました。
ゆでて、ゴマよごしにして食べました。これもgoodでした。
こちらのホウレンソウはかなり立派で、新鮮ですから、とてもおいしいです。
周りの畑は、一面の菜の花畑です。
これは、牛の飼料や、油の原料になるのだそうです。
日本人は、この花をおひたしにして食べるのよ、といったら、びっくりしていました。
学生たちに話す度に、自分がものすごく食べたくなってしまいます。

日本に帰ったら…
今から、楽しみです。



2010年5月1日土曜日

高校の卒業式
















昨日、四月三十日は高校の卒業式でした。

たまたま私が担当したのが三年生だったので、卒業式の時に日本語選択科目の修了証を授与することになりました。もちろん、着物を着て ❤

こちらの卒業式は、日本のそれとはだいぶ違っています。
卒業証書授与、という行事がないので、校長先生や数人の先生方の挨拶(これもとても短い)の後、成績優秀生徒の表彰があります。
こちらの高校は六段階評価ですが、最高の六は、ただ成績が良いだけではだめで、何か貢献したり、テスト以外で何かプロジェクトをやった人にだけ送られるのだそうです。

日本語選択の学生たちの何人かも優秀者で表彰されていました。
日本語とは全然関係ないけど、知っている学生が表彰されるのを見るのは、うれしいもんですね。

その後、在校生によるアトラクションがあります。
アトラクションはぜんぶ学生が仕切っていて、とても楽しかったです。
卒業式が楽しいというのは、いいですね、私はとても好きになりました。
先生方の歌もあり(完全にカラオケのノリでしたけど)、みんなでCeremonyを作り上げている感じがして、よかったです。

去年の十月に大学の始業式に出席し、今回は高校の卒業式に出ることができ、貴重な体験ができ、嬉しい限りです。

三年生はこの後マトゥラと言われる、日本のセンター試験のようなものを受けます。この成績で、国立大学(学費ただ)に行けるかどうかが決まりますから、真剣です。
将来日本語をやる学生は今回はいませんが、とにかく頑張ってほしいものです。

同僚のNさんは、『この時期に卒業式ってピンとこない』と言っていましたが、私は行事の雰囲気があまりにも違うので、異和感すら感じませんでした。
鈍いんだか、環境順応性が高いんだか…わかりませんね~ ( ・(工) ・) ふふん 

2010年4月17日土曜日

国葬

今日は、先日の事故を受けて、国葬です。

事故の確率は少ないですが、97名も一度に亡くなってしまったのですから、やはり飛行機事故は被害が大きいですね。

明日はクラクフに埋葬されるということで、結局月曜のお昼まで喪に服す、ということになりました。
つまり、公立の大学は授業がありません。
でも、うちは私立なので、たぶんやるでしょう。

ポーランドはカトリック教国なので、当然司祭様が葬儀を執り行なっています。
日本の国葬ってどうだったかしら?
宗教分離だから、お坊さんも神主さんも、関係なかったかしら?

昭和天皇の時は、皇室のしきたりにのっとって、だと思うけど、むかーしむかし、吉田元首相の時はどうだったんでしょうか?
憶えている人がいたら、教えて。

今回は、大統領夫妻は、クラクフにあるバベル城に埋葬されることになりましたが、結構世論はもめています。つまり、ここは国王とか、聖人と言われる人が埋葬されてきたお城で、事故は悲劇的だけど、一代の大統領が・・・? というわけです。

まだまだいろいろ起きるだろうと思います。
言葉はわからなくとも、雰囲気を察するようにちょくちょくテレビを見ようと思います。

2010年4月12日月曜日

凝り固まった考え??


外が明るいので(今午後7時過ぎです)、調子に乗って、もう一つ。

3月末にワルシャワで、日本語を勉強している人の弁論大会がありました。
皆さんとてもお上手で、日本に行ったこともないのに、本格的に勉強し始めて2、3年でこんなに話せるのか、と、すごく感心しました。

1位になった人も話は、発音も話の内容も分かりやすく、理路整然としてすばらしいものでした。
でも、私は、どうしても心で受け入れられないものがありました。
彼女の話は、題は「それでも日本車を買いましょう」というもので、内容は最近プリウスに欠陥があったけれど、友達のドイツ車と自分の日本車を比較して、こういう点が素晴らしいから、日本車がいいです、というものでした。
日本車をほめてもらうのは、日本人としてうれしいし、彼女の比較説明は論点もはっきりしていて独自の資料もあり、弁論大会のスピーチとして本当に素晴らしいものでした。

でも、どうして、日本車とドイツ車の比較なんでしょうか。
このことが、どうしても受け入れられない点でした。
ここは、ポーランドです。人の国の車の比較なんかしていないで、自分の国で車を作りましょう!!という話だったら、そうだ、そうだ!!と拍手をおくったでしょう。
この国の主だった産業(特に外貨が稼げる輸出もの)は、何でしょうか。
私は、人、のような気がします。つまり、出稼ぎです。
国内に産業があれば、人は外に働きに行かなくてもいいのではないか、と思ってしまいます。

今、ポーランドはEU加盟国です。だから、EU全体を一つの国とみなせば(何年かのちには、通貨もユーロになる)、たとえて言えば、東北から東京川崎に出稼ぎに行くようなものと考えれば、気にする必要もないのか、とも思います。
さらに、国内に産業を、と考えるこの考えが実に島国の日本的発想で、もっとグローバルにものは考えるべきなのか、とも思います。

人の文化を理解する、と言いながら、自分の考えに凝り固まっているような気もして、このことを考えると、なんかなーとすっきりしないです。
だから、しりきれとんぼでおしまい。

「は」と「が」

日本人なら、何の意識もしないで使い分けしている「は」と「が」ですが、外人さんには難しいようです。
私にとっての英語の前置詞や、ポーランド語の動詞の性や数による活用変化と同じようなもののようです。
解説書を読んで、自分では理解できるし、たまになるほど!!と思う時もありますが、日本語の通じない外国の人に説明するのは、私にとっては試練の一つでもあります。
日本の文法を説明できるほどの英語力は全くないし、結論としては、とにかくこのまま例文を憶えてちょーだい(なんせ、まだ「みんなの日本語」の8課、9課レベルですから)、もうちょっと先に進んだら、もう少し詳しく日本語で説明するから、ということで納得してもらいました。
こちらの先生や、先輩の人に資料をもらったり、いろいろ聞いたりしました。
四六時中考えていると、見えなかったことも見えてくることがあります。(というか、もとの勉強不足?)
(^ ^;)
「・・は ~が」構文がどうしてこんなに課が分かれて出てくるのかわからなかったんですが、あ、なるほど、と思えてきました。
やっぱり教科書を作った人って、えらい。
そして、自分が日本語という言語そのものに興味がある、ということも気づきました。

イースターの休みの前に、お世話になっている先生から、「言葉の海へ」という、日本で初めて近代的な辞書を作った人のことを書いた本をお借りしました。
題目を聞いた時は、あまり借りたくないような気がしていましたが、読んでみたら、とても面白かったです。
この本は、「坂の上の雲」とほぼ同時期の、明治前半が主な舞台です。
世界に対して、この国をどうしたいかが熱く語られていて、もうひとつ、自分の中を発見できました。
私は、幕末、明治維新のころのような、何かを壊して新しいものを作っていく、というよりも、そのちょっと先でなにかを作り上げていく頃の方が好きみたいです。
同じ感じで、終戦後の、功罪はあっても通産官僚がこの国の産業の発展を推し進めていったころも好きですね。これは多分に『官僚たちの夏』が影響していますけど。

とにかく、自分では気付かなかったことも、いろいろ気づかさせてもらって、長く生きてるといいこともいっぱいあるかな、と思えるようになりました。

石の上にも三年、と言いますから、少なくてももう一年はここでやっていきたいと思います。
さらにいろんなことを考えたり、発見できると楽しいなぁと、思っている今日この頃です。
暖かくなってきたら、人間は前向きになるもんだわい。

突然の訃報

今週末は、イースター明けの週末クラスの授業でした。
金曜日は、夜ひとつだけなので、土曜日、日曜日に授業が集中しています。
土曜日の最初の授業の時、学生が教室の外にいて、なかなか入ってきません。
「もう始まるよ~」と、お気楽に声をかけたら、入ってきた学生が、「先生、大統領が亡くなりました。」と英語で言ってきました。
最近英語がどんどん苦手になっている私は、何を言っているのか、ピンとこなくて、事態を理解するのに少し時間がかかりました。
単なる事故か、テロなのかわからないので、学生も騒然としていて、「この国はどうなるのだろう」と、かなり不安げでした。
「学長がまた来るかもね」と言って、授業を始めましたが(ほんとによく学長が授業を見にくるんです)、そのうち、大学の管理の人が来て、今日の授業はすべて打ち切り、ということになりました。
テレビでも放映していましたが、たくさんの人が教会へお祈りに行ったり、大統領府に行ったりで、ワルシャワの大統領府の前は花とろうそくで埋め尽くされていました。
敬虔なカトリック信者の国ならではのことですね。
日曜日は普通に授業があったので、学生に詳しい話を聞きました。
とにかくテレビを見ても、悲しいかな、ポーランド語が分からないので、映像以上のことはわかりません。
選挙は二ヶ月後ということなので、次にどんな人を選ぶのかで、この国の人がどうしたいのかが少し見えてくるかもしれません。
私はどうしても大統領の専用機が天候不順で墜落する、ということが理解できませんでした。
絶対、はあり得ないことですが、普通、パイロットも、機体も、大統領機なら最高のものが使われている、と思うじゃないですか。
だから、すごく不謹慎ですが、学生にも色々訊いてしまいました。
学生の一人が、大統領夫妻が亡くなってしまったことは大変なことだし、とても悲しいことだけど、それ以上に、政府、軍の要人もたくさん亡くなってしまった、このことの意味がさらに大きなことに思える、と私に教えてくれました。

心やさしいポーランドの人たちが、早くこの悲しみから立ち直ってくれることを祈らずにはいられません。

2010年3月15日月曜日

スキー三回目~





















今回が今年の滑り納めです。日数は少なかったですが、とてもよいシーズンでした。


さて、今回の目的は、まずは本場でワールドカップを見ること、です。

時間が取れたら、自分でも滑る、なんせスキーするのは二日間という、なんともぜいたくなスキー旅行です。

でも、相変わらず、事前準備が悪く、というより、まったく下調べしないで現地入りしました。

ふつうは宿で、少なくともスキー場やスキーバスに関する情報はゲットできるはずなんですが、今回はバス停の場所を教えてもらっただけ…

どこに行けばスキーができるのかも分からず、とりあえずバス停に行き、そこにいたおばちゃんにスキーはどこで出来るのか聞きました。

彼女はとても親切に、片言の英語で教えてくれました。その言葉を頼りに行ってみると、スキーのジャンプ台がありました。

私、ジャンプはやらないんだけどなぁ…

その横では、何やら一生懸命コースを整備している!!!

こりゃ、ワールドカップだ、スラロームだ!!と思い、近くにいたおじさんに聞いてみました。

すると、明日SLがあるって。 どうすればいいのかわからなかった、ワールドカップの情報が取れました。やったね、ウフフ。

スキーができる場所も聞いて、バスでまた移動しました。
宿を出でからすでに1時間半経過。
でも一人だから、半日滑れば十分、とツークシュピッツェ鉄道の駅に到着。
ここでもどこでスキーができるのか分からず、色々聞いてスキー場はガルミッシュクラシックと、ドイツ最高峰のツークシュピッツェの所があり、この二つはつながっていないということでした。
クラシックより新しくて、高いところがいいだろう、と迷わず一番高いところを選びました。
後でよく調べたら、カンダハーバーンはクラシックにあり、この日はこちらで大会をやっていました。
ホントに下調べは必要だと痛感しました、後になってから。
でも、まぁドイツで一番高い所に行く登山鉄道にも乗れたから、良しとしましょう。
というわけで、1日(実質半日)は自分でスキー、次の1日は念願の大会観戦となりました。
この日のスラロームは、ついにロジ・ミッターマイヤーの息子のフェリックス・ノイロイターが2本目まくって優勝しました。
ドイツ人たちの大騒ぎぶりはすごかったです。ダンケ・シェーン!!と、アナウンサーも興奮していました。
マリアも優勝したらどんなことになっていたのか……ちょっと残念でしたね~。
今年は、もうたぶんスキーはできないでしょう…
来年を楽しみに、体力低下を挽回しようと思います。

2010年3月8日月曜日

再び、スキーへ











体ボロボロになって帰国して、一週間ちょっと体を休めました。

でもその間もちゃんと仕事しましたよ~。
週末学部の期末テストをこなし、採点、評価もちゃんとしました。
仕事の話は、また別な機会に…

さて、スキーですが、今回はちょっと優雅に、インスブルック観光も入れてみました。
さらに、今回はぜいたくにも、飛行機でインスブルックまで行きました。
空からの雪をかぶった山々の眺めも乙なものでございました。

空から見て思ったこと。オーストリアって、日本以上に山ばっかり。

インスブルック初日は、仮装した酔っぱらいだらけ。お店や博物館も全部閉まっていて、ただその仮装と酔っぱらいを見る観光になりました。
でもなにやらみんな、とても楽しそうでした。誰かと一緒にいたら、絶対自分もビール買って一緒に騒いでいたかも…
二日間、テレビでオリンピック観戦も兼ねてインスブルックにいて、それからストゥバイタールという、ここから一番近いスキーエリアへ行きました。

バスでインスブルックから宿のある村までおよそ小一時間。
バス停で降りて、さて、宿はどこかしらん?とキョロキョロしていたら、子供を連れた女性がにこにこしながら近づいてきました。宿の人がバス停まで迎えに来てくれたのでした。あら、感激 (^o^)
宿はバス停から近いので、このあとからのスキー場に行くのにもとても助かりました。
この日は村をぶらぶら散策して、明日からのスキーに備えるべく、ここでもスキー学校に行きました。
でもここのスキー学校は金、土曜が休みということで、私は日、月の二日間だけスキー学校にはいることになり、それまでの二日間は一人で滑ることとなりました。
翌日、ちょっと緊張しながら、標高2000Mをこえるストゥバイへ。
なんと!! 強風のためにスキー場が閉鎖!! 
情報を集めて、少し戻ったところのスキー場ならやっていることが分かり、そちらへ移動。
一人だったので、午後から三時間休みなしに滑ったら、それでもう十分になってしまいました。
どうも体力低下が著しい…なんとかせねば…
翌日も天気が芳しくない。とりあえずストゥバイはやっていたので行ったけど、雪で何も見えません。
雪がどんなに良くても、なにも見えなきゃあまり楽しくありません。
しかも一人だから、やっぱりさみしーい。スキーは皆でするのが楽しい、とつくづく思いました。
3日目はきれいに晴れました。
晴れただけで、きのう凹んだ気持ちはどこへやら、しかも今日からスクールなので、いろいろ連れて行ってもらえるぞ!!とルンルンウキウキです。
クラス分けをした時、うーんいろんな所に行けるのか、一抹の不安が…
レベル差がちょっとあったけど、ホントにこっちの人は強いですね。
深雪も何もよろよろしながらもちゃんとついてくる。すごいの一言ですね。
この日は、極上を通り越した究極のパウダー!!!
イントラも、今日はスペシャルだと言っておりました。
とにかく、人の滑った跡も気にならないくらいに軽い!!!
まるで片栗粉か粉砂糖の中で滑っているみたい…あぁ、今思い出してもうっとり…ずるっ、ああっ、よだ○が…
次の日も快晴。やっぱ行いの良さかしらん、ウフフ。
この日はさらに三人追加になり、みんなで楽しくゲレンデ巡りをしました。
きのうの極上パウダーは一日にして、かたいウインドクラストになっていました。
ちょっと難しい条件だったけど、緩斜面だったこと、今回ずっと気をつけていた谷荷重を意識したことが幸いして、サンアントンよりも何とかまともに滑ることができました。
寒さも思ったほどは感じず(でも、-15℃くらいでした)相変わらず、身体ボロボロになったけど、楽しい、楽しい旅行でございました。
長々と読んでくれて、ありがとうございます。

2010年2月12日金曜日

ヨーロッパでスキー!!!




第二弾です。
皆様、私の雄姿はご覧いただけましたでしょうか。


ほんと思いっきり下手なんですが、うまそーに撮れましたねぇ、ムフフ、嬉し~  ( ^ 0 ^ )


こちらは聞いていたけど、すっごく一つのゲレンデが長いんです。
おかげで初日のフリースキーですっかり筋肉痛になってしまいましたけど。

いつも思うんですけど、どうして外人さんてお世辞にもうまく見えないのに、とにかく強い!! どんな斜面でも滑って行くんでしょう。

でもよく見ると、なんとなくみんな似ている…そう、ポールの習い立てみたいに一気にスキーの方向を変えて斜滑降のような、横滑りのようなものをする。

それをずーっと続けているのですよ。だから体はいつもフォールラインを向いている。きれいな、丸い弧なんてどうでもいいみたいです。そして、基本は谷側に荷重。バナナポジションと言っていました。

切って滑ろうとする人がいないせいかもしれないけど、こちらでは人と人の衝突は全くありませんでした。

こちらで知り合った、スキー教師をしている人に、どんなところでもすぐに止まれるように滑らなければ危険だと教えられました。つまり、制御不能で突っ込んだら、その下は崖かもしれないって…おぉ、こわっ

でも、その通りですね。この広くて長いゲレンデを全く止まらずに上から下までみんながフツーに滑っているんですから、こちらにいる間はこちらのゲレンデが楽しめるようなスキーを身につけたいと思います。

身体の筋肉痛も少しずつ和らいできましたから、次もがんばるぞー

2010年2月10日水曜日

ヨーロッパ初スキー!!!




二月一日から八日まで、ヨーロッパで初めてスキーをしました。


選んだスキー場は、サンアントンです。


書きたいことは、い~っぱいあるけど、最初は生き返り、いや行き帰りのことから…
朝6時には出発して、サンアントンに到着したのはその日の夜9時半すぎでした。
出発の日は、遅れちゃいけない、の気持ちばかりで、早くに出たら、この日に限って門番のおじさんに見つかってしまい、誰だ、止まれ!!と不審者扱いされてしまいました。なんとか、あの日本人、ということを理解してもらい、それからあとは順調にたどり着くことができました。

宿にたどりついて、ビールを一本もらって、一人で無事到着を祝いました。

ポーランドに来てから、一人で旅することがなかったので、みんなが心配してくれましたが、なんとかなりました。うん、うん、よかった、よかった。

ボロボロになりながら、楽しくスキーをして、八日の日は早々と帰途についたのでした。
ミュンヘンまでは天気も良く、山がきれいでご機嫌の旅でした。

ちょっと気になることはありましたが…同じコンパートメントに私と黒人の留学生がいたら、あからさまに出ていった白人の男性がいました。最近はこの手の輩をみると、反対に哀れな人だなぁと思うようになりました。
まぁ、そんなことはほんとに大したことじゃなく、問題だったのは、ミュンヘンでチェックインした時のこと。自動チェックイン機でほぼ完了になったときに、席が空いていないから、キャンセル待ちです、との表示が? んな、ばかな? と思いつつ、荷物を預けにカウンターに行くと、オーバーブッキングにより、席がないとのこと。最近はすっかり押しが強くなった姐さんは、なんとかしてちょーだいねとお願いし、結局ミュンヘンからウィーン経由でワルシャワへ行くことになりました。
朝せっかくオーストリアからドイツに入ったのに、午後またドイツからオーストリアに戻って、ワルシャワに帰ることになりました。時間が2時間ちょっと遅くなったけど、いいことも・・・
往復航空券分+αが返金されたのでした、ムフフ。 ( ^ 3 ^ )/

この日最後の関門が、大学の門のカギ。恐る恐る門番のおっちゃんを呼びだしたら、すぐに出てきてくれて、挙句は荷物を3階の部屋のところまで持って行ってくれた。
こっちは遊んで帰ってきたのに、すごく恐縮。

でも、おっちゃん、ありがとう!!! 

2010年1月24日日曜日

大使館で新年会




話が前後しますが、先生のコネで、大使館の新年会に招待されて行ってきました。
久し振りに日本食が食べられる、というので、期待に胸と腹をすかせて行ってきました。以前にJICAの隊員ががっついていてヒンシュクを買ったということを聞いていたので、できるだけそおっと、でも一番にバイキングに行きました。
こちらではジャガイモはあるけど、里芋、サツマイモ、ほくほくしたカボチャがありません。もう煮物を見たら、よだれ、いや、涙が出そうなくらいうれしかったですよぅ。
また、ちらし寿司にはトッピング用にイクラが置いてあり、日本にいた時はどおってことのないものなのに、こんなに旨いものがこの世にあったのか!!くらいに感じましたね。
やっぱり海外に出てみると、日本のありがたさがしみじみわかりますし、わたしって日本人なんだなーと、つくづく自分のアイデンティティーを再確認しちゃいますね。
呼ばれていた方は、推定ですが、企業の方が多いようです。大使の最初の挨拶も、「ぜひ撤退しないで、長くいてほしい」みたいなことを言っていましたから。
最後に出たデザートは、本場イタリアの職人が作ったティラミスで、うまいっ!!のひとことでした。もうはいらなーい、と言いながら、皿いっぱいとって食べていましたけど、ああっ食いだめしたい!!って心底思いました。先生に、一皿もらっていってもいいですか?と聞いたら、来年から呼ばれなくなるからやめて、と言われました。
この日はとても充実した1日でした。
あ、学生には、日本語教師のミーティングがあるから、と言って出かけてきましたけど。
写真のきれい衆4人組は、正真正銘の日本語教師ボランティアです。けっして飢えたハイエナではございません。
私たちは、ボランティアで日本文化の紹介もしている、ということで呼んでいただいているそうです。
日本文化、私たちが生きた日本文化そのものですね。化石状態もあり、進化し続けてもいます。