2009年11月27日金曜日

裁判所に出廷!!




大学の寮に入ってすぐの頃に私が捕まって罰金を払わされた話、覚えてますか?

大学が不当逮捕と罰金だというので、抗議の文書を出してくれたので、その申し開きのためにお白洲に行ってきました。
今度は大学から、私の通訳ということで、きれいなポーランドの秘書さんが同行です。
ちょっと冷たい感じがする人ですが(たぶん瞳の色のせいだと思う。とてもいい人です。きれいだし。)、とにかく心強い(なんせ、彼女のお父さんは弁護士で、旦那さんは警察官ということですから)味方を得て、興味津々、行ってまいりました。

中に入るために空港にあるようなセキュリティチェックを受け、コートをクロークに預け、案件に私の名前が書いてあるドアの前で待ちました。

時間になり、ドアの中へ。

そこには裁判官と書記が一人いて、名前の確認を受けた後、英語が喋れるか聞かれました。
a little と答え、後は秘書様がポーランド語で何か説明。
秘書さんはこの後ポーランド語でうそを言わないことの宣誓をしたうえで審議がスタート。
言葉がわからなくても、雰囲気と裁判の知識から、何をしているのかわかるもんですね。
提出してあるのではなく、もう一度状況を説明するように言われ、緊張しながら英語で説明。
途中途中通訳をはさみながら、書記の人が書き取って行く。

この時は渡り始めた時は青だったこと、ポーランド語が分からなかったことを伝えましたが、後から考えると状況の説明だけでなく、捕まえた警官の非を強く主張する弁論だった方が良かったようです。

数分間の審議ののち、再度呼ばれて結論が言い渡されました。

結論は、私の抗議は認められませんでした。
赤信号を渡ることはこの国では交通規則違反であることから、罰金を取ったことは違法ではない、ということでした。

この法廷は、私が犯罪者であるかそうでないかを判断する場ではなく、私がとられた罰金を返してほしいという申し出に対して、承認するかしないかを判断するものだ、と言われました。

まぁ、ある程度予想していた結果でしたが、いろんな事の勉強になり、周りの人の優しさもありがたかったし、いい経験でした。
一緒に行ってくれた秘書さんはとても残念がっていて、あの裁判官は駄目な奴だと言ってくれましたが
弁論の仕方も考えなければいけないことも知ることができたし、何よりも、この大学の人たちが、私のために手間をかけてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

最後には、まぁ、100zlt くらいで済んでよかったね、ということで、今回の件は奇麗さっぱり片付きました。
ほんとにいい勉強になった案件でした。

授業料としては決して高くない?

最後に別話。
秘書さんは黒髪なんですが、とてもきれいな人です。
その彼女が裁判所までの道で、車線変更で入れてくれない男性のことをブロンドにしか親切じゃない、と言って怒っていました。

この国にはいろんな色の髪の人がいるんですが、どうやらブロンドが美人の条件みたいですね。
金髪娘話ってエロい話には必ず出てきますもん。

ウッジ日本週間












11月16日から24日にかけて、私が住んでいるウッジ市で、日本文化紹介のイベントがありました。

これは毎年行っているもので、今年はポーランドと日本の国交樹立?90周年に当たるということで、日本から人を招いたりして、いつもの年よりも盛り沢山だったそうです。
私も少しだけお手伝いをしました。
月曜から金曜は行事が夕方からなので、昼間は大学で授業をして、それから出かけて毎日着物を着て会場をうろうろしていました。

土曜がメインで、朝からお茶や折り紙、水墨画などの行事があり、私たち日本人スタッフはそれを手伝いました。
去年ここでお茶を覚えた人たちがお手前をして、会場に来た人たちにお茶をふるまいました。
出国直前にバタバタと覚えた私よりもよっぽど上手です。
日本に戻ったらきちんとやらにゃあかんわい、と思いました。
水墨画もみんな素直に躊躇なく描くので、遠目だとそれなりに様になっています。
何でも素直が一番ですね。
月曜から日曜まで行事が続いて、一日空けて火曜日に日本から三味線と横笛とベースとドラム、という組み合わせの和風バンド(cazi-cazi)が来てくれて演奏してくれました。
一日間が空いたせいか、この日はお客さんの入りがちょっと悪いな、と思っていたら、同じ日にウッジ市の別のところで五嶋みどりさんのコンサートがあったんだそうです。クラシック音楽好きの方たちは残念ながらそちらに行ってしまったようでした。でも内心、日が重ならなかったら、私も言って聞きたかったと思いました。
でも、コンサート自体はとても楽しめました。

印象的だったのは、アンコールの時に日本でも有名なポーランドの曲(森へ行きましょう、娘さん・・というやつ)をアレンジして演奏したら、会場の全員がとても嬉しそうに体を揺らしていたことです。
それを見ていたら、この国の人は本当に自分たちの国を愛しているんだなぁ、とつくづく思いました。

日本で老若男女が聞き入る曲って何ですかね?
演歌じゃ若い人が付いてこなさそうだし、やっぱり「故郷」とか、そういう曲ですかね。
皆さん、どう思います?

2009年11月11日水曜日

たまには授業も







たまには授業も、といっても実はこれ、私の授業ではありません。
日本文化の授業で水墨画をやるので、私が勝手に参加させてもらっているものです。
筆を持つのはポーランド人は初めてだから難しいだろう、と思うのは、思いあがりと知りました。
変な先入観念がないから、実に堂々、大胆に描くんです。恐れ入りました。生半可な知識は(見たことがある程度)、かえって邪魔ですね。
来週は私の住んでいる市で≪日本文化週間≫が催されます。何をするのか、よくわかっていないのだけれど、毎日夜な夜な着物を着て愛嬌をふりまくらしいです。
土、日は来た人の名前を漢字で書いてあげたりするそうです。同僚のNさんはポーランドの人たちの名前を漢字にするのにはまってしまって、今から張り切っています。
私は、というと筆で書く、と聞いただけで、ん十年前に結婚式の受付で小筆を渡されて、手が震えて書けなくなったのを思い出して…トラウマだぁ

何人かいるから、みんなに頑張ってもらおうっと。結果はまたそのうちにブログで紹介します。

11月1日は死者の日







少し遅くなりましたが、11月1日はカトリックの行事で『死者の日』と言います。
この日はみんなでお墓に行くそうです。だから地方出身者は、みんな家へ帰ってしまいます。当然この日は祭日になります。大きな祭日のようで、この日は大きなスーパーもみんな休みです。かろうじてレストランは何件か開いていました。
私たち、日本人ボランティアは夕方集合して、まず夕食を食べてから、その、きれいな墓地を見学に行ってきました。この頃はメッチャ寒くって、たかをくくって出かけた私は非常に寒い思いをしました。たぶんマイナス5℃位?
たくさんのお花やろうそくできらめく墓地を見て、日本のお盆みたいにもっと暖かいころにやったら…と思うのは身勝手なんでしょうね。
こちらでお世話になっている先生から、この日は日本のお盆のようなもの、と説明されましたが、みんなで集まって墓地に行くのだったら、お彼岸に似ているのかなぁとも思いました。いずれにしても、この行事はプロテスタントには無いようです。貴重な1日でした。

ちょっとした、へぇー










 

ほんとにちょっとしたことなんですが、あれっと思うことがいくつかあったので。
① 授業で学生に家族構成の言い方を教えていた時のこと。  
ほぼ八割以上の学生が、『私の家族は、母と、父と……』父より母が先に出るんです!!  
そぉかぁ、ポーランドの女性は強いからなぁ…と最初は感心していたのですが、よーく考えるとそうではないみたい。  
つまり、レディファーストなんですね。常に女性を大切に扱うように、とポーランドでは子供のころから教えられるようです。  
日本も国際化するなら、こういうとこを少しは取り入れてほしいですねぇ。
② ポーランドの女性は、結婚すればみんな料理、洗濯、掃除を当然のこととしてします。  
彼女たちが家事をしている間、亭主が子供の面倒を見ます。公園を散歩したり、本を読んであげたり。
ここは元社会主義国だから、男女の別なく仕事をします。そして、男女の別なく、同じような時間で仕事が終わります。    
だから、育児、家事が家庭の中の分担作業として成り立つのかな、というのが観察結果です。    
それから、ここはあまり汗をかかないからか、毎日シャワーを浴びる習慣がないようです。  
だから、「うちの亭主は子供を風呂に入れてくれない」というぼやきもないみたいですね。
③ 12月に日本語能力試験の3級を受ける人たちが過去問をしているのを見て。  
長文読解に「朝六時に起きなくてはならないから、五時五十分に目覚ましをかける。四つ目覚まし時計をかける」  というのがその文章の大体の内容ですが、単語の意味は理解できても、この文化が理解できないから、問題の意味が分からないようでした。  
つまり、六時に起きるのに、なぜその10分前に目覚ましをかけるのか、しかもどうして4つも必要なのか、がわからない。  
目覚ましがどこにおいてあるのか、みたいな設問もあったみたいで、4つをばらばらに、ベッドから起きて歩いて止めに行くところに置く、なんて考えもつかないようでした。  
考えられなくて当たり前かも、と思いました。  
だって、この国の人たちは夜寝るのが早いから、朝がつらくて起きられない、というのは、若い人たちが夜遅くまで遊ばない限りあり得ない話のようだから。  
④ 西洋人は碇肩だから、あまり肩こりしない、と聞いていたけど、そうでもないみたい。  
電球が切れて(よく切れます)、電気屋さんに買いに行ったら、椅子にセットするマッサージ機がありました。  
子供が使った後でまだスイッチが入ったままになっていたので、使ってみましたが、意外や、すごい快適!!  思わず購入を検討しそうになったりして。(プールは今閉鎖中だし、行くまで寒いし…)

2009年11月2日月曜日

秋? 冬?








ここ数日は、久しぶりの晴天です。

今外に出なくて、いつ出る!? というわけで、お外をふらふらしてきました。
ほんとは大きな公園に行こうとしていたんだけど、人がたくさん、ある方向に向かっていくので、ついていったら、青空市場をやっていました。
常設の市場らしく(うちの近くでしたけど、前に歩いた時は気付かんかった)、建物もあって、中はにく、ニク、肉!
沖縄の市場を彷彿させるように、内臓から、豚足から、いろんなものが売られていました。買うわけじゃないけど、こういうとこって、楽しいですね  (にゃは)

野菜や洋服や靴、いろんなものが売られています。しかも安い!! 食べ物以外は、かえって心配になったりしますが…でも、フード付きのジャケットを日本円で3,000円ちょっとでゲットしました。
公園にも行ってみました。落ち葉がバケツをひっくり返したように、わさわさ降ってくるし、地面にも積もっています。

写真の建物、気付きましたでしょうか?
そうです。織物工場なんです。ここウッジは、もともと繊維産業で栄えた町なんです。
その後映画産業が盛んになり、ポーランドの≪ハリウッジ≫と呼ばれていたそうな。ダジャレの好きな人って、万国共通なんですね。  それにしても、あぁ、寒い

今は、人はたくさんいるけれど、観光地というわけでもないし、特別な企業、産業もないみたいなので、これからどうするのかっていうのもこの町の行政の課題みたいですよ。
ウッジは第二次世界大戦の時に爆撃されなかったので、戦後一時首都機能を担っていたそうです。
ワルシャワはめちゃくちゃに破壊されたので、戦前の姿に再建させたそうな。
ウッジは壊されなかったけど、そのままで現在にいたっているので、石畳も結構崩れて凸凹して歩きにくい。道路も、これが舗装路? というくらい凸凹のところもある。
観光地じゃないので、治安は他よりいいみたいだけど、下に気をつけて歩かないと、お犬様の落し物をいつ踏むとも限らず…

まぁ、いい面、悪い面、どこだってありますね。
久しぶりのいいお天気に加えて、先週末は週末学部がなかったので、少しゆったりしていました。さぁ、今週もがんばるぞ!!